しかし、この一茶に「とんでもない黒歴史」があったのをご存じだろうか――。例えば、50歳を過ぎて結婚した28歳の新妻と「1晩で4回も5回もヤリまくる」という、あり得ないような性欲の持ち主だったというのだ!
一茶は継母との折り合いが非常に悪く、15歳で故郷を追われ、やむなく江戸に奉公に出て、後に俳人になったものの、妻も子もなく、何十年もの間、死と隣り合わせの極貧生活を続けていた。
暮らしに困った一茶は、自分を故郷から追い出す原因を作った継母と、自分に代わって実家を継いだ腹違いの弟を相手取り、約13年にも及ぶ強談判の末に「実家の財産」を半分に分けさせて強引にもぎ取り、実家そのものも分断して改築で壁を作り、そこに住み着くという“人でなしの所業”をやってのける。
なぜ人でなしなのか? これは一茶がもぎ取った財産の“大部分”は、30年以上も継母と腹違いの弟が汗水たらして働き増やした農地だからだ。しかし、一茶の側にも一応の弁明はあった。それは、13年前に父親が脳卒中で倒れ、実家に看病で帰ってきた39歳の一茶を、父親が不憫に思い「財産の半分は一茶に分ける」という遺言書を書いたからである。
ともあれ一茶は13年の財産争いに何とか勝利し、52歳で故郷に帰り、そのころからメキメキと頭角を現して「江戸期最高の俳人」と称されるほどの人気を得た。つまり“俳諧師として成功する”という長年の夢を、ついに実現したのだ。
その後の一茶は周囲の冷たい目をよそに、52歳から65歳で死ぬまでに2回も中風(脳血管障害)で倒れながらも、三度再婚し、それぞれの妻とヤリまくりつつ、風流の日々を過ごしたそうだ。
とんでもないエロ大魔王ぶりだが、あまりにも大胆不敵で、どこか憎めない気もする。