昭和初期に、この古びた墓がキリストの墓であると断定され、村人たちはキリストの末裔だと日本中の注目を浴びることになった。当時は「日本にもピラミッドがあった!」ということがまことしやかに広がり、超古代文明がブームとなる。それと連動して多くのマスコミや知識人が辺境の村に押し寄せた。
この珍騒動のきっかけは、古文書「竹内古文書」で有名な茨城の宮司・竹内巨麿が、古文書の表記に従って、新郷村(当時の名称は戸来村)を訪問。太陽のピラミッドや、キリストの墓があると主張した事に遡る。この竹内は、怪しい言動で有名であり、他にも「モーゼの墓」「釈迦の墓」とあちこちで強引な主張を展開していたのだが、当時の新郷村の人々は、村によい名物ができたと素直に感激した。
そのうち、このブームにマスコミが乗っかる。作家の山根キクが著述した「光は東方から」がベストセラーとなり、観光客や学者が村に殺到したのだ。かくして、竹内巨麿や友人・山根キクの功績により、当時の戸来村は日本に亡命したキリストの子孫だということになってしまった。
この戸来村=ユダヤ説を、いちおう裏付けるような一致点がある。まず、キリストの娘を嫁にもらったという沢口家当主の容貌は、一見、青眼に彫りの深い外国人のような顔だちであった。しかも、家紋はダビデの紋章である。戸来村では父のことをアダ、母のことをアバと呼んだ。これはアダムとエバ(イブ)に似ているではないか。
村の赤ちゃんには、魔よけとして額にクロスを書く習慣があった。このクロスが十字架なのは言うまでもない。村の野良着は、ユダヤの民族衣装に酷似していたし、赤ちゃんの揺り籠は、ユダヤの伝統的な揺り籠と同じ形態であった。また同村周辺に伝承されているナニャドヤラーという民謡は、日本語としては一切理解できないが、古代ヘブライ語として聞くと意味が分かるという。
戸来村の“とらい”も、“へぶらい”が訛ったものだとも言われている。このキリスト伝来の伝説は本当なのだろうか。
驚くべき事に、現在キリストの墓の横には、イスラエル大使館が立てた記念碑が建立されているのだ。国家機関がわざわざ日本のトンデモスポットに付き合うだろうか。また、新郷村とエルサレムは姉妹都市でもある。数年前には、エリート官僚であるはずのイスラエル大使が来村している。
東北は不思議な地域である。青森の三内丸山遺跡や、秋田のストーンサークルなど、高度な文化を持つ古代集落があったことが容易に推測できる。また、十三湊と言って、大陸との大規模な国際貿易港(湊)があった。正史でも、シルクロードを通って隣りの唐までは、ユダヤ人がやって来ている。冒険心のあるユダヤ人の一部が日本に来ていてもなんら不思議はない。ひょっとすると、古代にイスラエルの地から追われた、十部族の一部はシルクロードを通って、日本に来たのかも?