しかし、ここにたどり着くまでには、意外なメンバーも1度はSMAPを名乗っている。TOKIO・国分太一、V6・坂本昌行だ。彼らは、主力メンバーが修学旅行などの理由で取材に対応できないときだけ、呼び出された。そして、SMAPの一員としてページに収まった。
さすがというべきか、ジャニーズ事務所はかなり日常的に、この“ありえない助太刀”を投入していた。その経験を2度も味わったのが、先の坂本だ。
SMAPになり損ねた坂本は、辛酸をなめたそのおよそ3年後、TOKIOの一員になれる可能性を、ジャニー喜多川社長から打診されている。TOKIOの結成記者会見の前夜、坂本の元にジャニーさんから電話が入った。「長瀬(智也)と坂本のツインボーカルでやっちゃえば?」という、信じがたいプランだった。かねてから歌唱力とダンス能力を高く評価され、「TOKIOに入らない?」と勧誘されていたが、「楽器ができないから」という理由で、無下に却下。坂本は、みずからチャンスを棒に振るという異端児だった。その翌95年、V6として見事にデビュー。天賦の才をジャニーさんは見逃さなかった。
そのV6になりかけながらも、坂本と同じくみずから蹴ったスターがいた。嵐・大野智である。大野は嵐の結成前、V6のデビュー曲『MUSIC FOR THE PEOPLE』のカップリングソングで、年少組・Coming Century(森田剛、三宅健、岡田准一)の楽曲『Theme of Coming Century』をレコーディングしている。アーティストに渡すためのデモテープ用CDで仮歌だが、ジャニーさんが当時から大野の才能を高く買っていた証拠である。
実際に、「YOU、バレーボールできる?」と問われている。V6は、『バレーボールワールドカップ』のイメージキャラクターとして結成され、大会テーマソングでデビュー。本人たちも、バレーの特訓を積んでいる。それを見越した大野は、「バレーはできません」と答えて逃げた。そもそも芸能界にまったく興味がなく、高校卒業と同時に退所しようと決めていたため、みずから防御したのだ。ところが、この4年後、嵐となってデビューした。
坂本しかり、大野しかり。“コイツ!”と思うJr.にはチャンスを与え、確実にスターにしていくジャニーズのシステム。その的中率がほぼ100%なのは、さすが帝国!