『細川ガラシャ』、ガラシャとはキリスト教の洗礼名で、本名は『珠』(たま)という。ガラシャは『本能寺の変』を起こした明智光秀の娘として生まれ、細川忠興の妻となった。しかし夫の忠興は異常なほど短気で嫉妬深く「戦国一の美人」として名高いガラシャが他人の目に触れるのを「極端に嫌った」といわれている。
そして忠興は妻のガラシャを屋敷の一角に作った特殊な部屋(自爆用の火薬が大量に仕込まれた部屋)から一歩も出さず、その境遇にガラシャが歯向かうと、殴る蹴るの激しい暴行を加えつつ、セックスを強要し、実質的な「監禁状態」に置いて「性奴隷化した」といわれる。
しかし、これは序の口だったのである。例えばガラシャの姿をたまたま見掛けて声を掛け、あいさつをした屋敷の庭師に忠興が激怒し、その場で首を切り落としたり、自分の言いつけを守らず、ガラシャをキリスト教会に外出させたガラシャ付きの女中(女性の家臣)を串刺しにして殺しているのだ。
その残虐非道の数々(激怒した忠興に殺された家臣や領民は男女合わせて100人以上とも)は、戦国時代でも“異様”であり、有能だが怒らせると「何をするか分からない奴」として有名だったらしい。
そして戦国最大の大戦である『関ヶ原の戦い』が始まると、忠興は東軍に属し、作戦上の必要性から大名の妻子は敵地である「西軍の大阪城下」に人質として置き去りにされることとなった。当然、他の大名家は妻子を奪い返すべく“さまざまな工作”を施したが、忠興は出陣前の激しい情事の後、ガラシャにただ一言、冷たくこう言い放ったという。
「もし敵に捕まりそうになったら、外へ逃げずこの部屋で子供と一緒に死ね」と。
ガラシャはこのとき36歳。忠興が付けた監視役の家臣に囲まれ、逃げることもできず、キリスト教徒のため、自害(自殺)することもできなかった。そして敵が屋敷内に攻め込んで来ると、ガラシャは監視役の家臣により即座に刺殺され、そばに居たガラシャの2人の小さい子供たちも同じ様に刺し殺されたそうだ。遺体は人目に触れぬよう、外した障子を積み重ね火薬を撒き、その場で念入りに焼かれたという。
鬼畜のような「DV夫・忠興」に翻弄され、無残に殺されたガラシャとかわいい子供たちの魂は、どこをさまよっているのだろうか? 歴史の闇は今も口を閉ざしたままだ。
参考:司馬遼太郎『胡桃に酒』、松本清張『火の縄』