坂田は「選択肢を広げたい」と、すでに専修大学商学部マーケティング学科(2部)を受験し合格。4月からは晴れて大学生となる。
大学で経営学を学んだ後、将来的には協栄ジム指導者としての道に進む可能性が大。金平桂一郎・協栄ジム会長は、「強いだけじゃない。人間性も素晴らしく、苦労もした。坂田なら父親(故金平正紀・協栄ジム先代会長)も納得するでしょう」と、協栄ジム後継者に指名した。
坂田は98年に、先代会長の最後のマナ弟子として入門。99年には東日本新人王、全日本新人王を獲得。01年4月に日本フライ級王座を奪取。ここまでは、順風満帆だったが、世界が遠かった。
04年6月に世界初挑戦も失敗。以後、世界獲りは3度もならず、挫折も味わった。4度目の世界挑戦となった07年3月19日、ロレンソ・パーラを破り、WBA世界フライ級王座を奪取。その後、4度の防衛に成功。08年12月31日、デンカオセーン・シンワンチャーに敗れ王座から陥落した。
世界返り咲きを懸け、昨年9月25日には、元同門の亀田大毅の持つWBA世界フライ級王座に挑むも、0-3の判定で敗れた。敗戦後、進退を保留していたが、「体の衰えを自覚した。これ以上闘えない」(坂田)と引退を決断した。
かつては何かと目立つ亀田興毅、大毅の兄弟と同門同階級であったため、地味な坂田は随分損な役回りもしてきた。しかし、マジメな性格で、挫折を乗り越え努力で世界を制した男を、金平会長は評価。後継者に指名した。まずは、将来を見据え、大学生として第2の人生を歩む。
(ジャーナリスト/落合一郎)