1957年(当時年5場所)から創設された同賞において、史上23人目の受賞力士となった栃ノ心。上位陣に休場が相次いだ1年であったということを差し引いても、立派な成績であったということに変わりはないだろう。
休場が全く考慮されないことも含め、かなりハードルの高い記録であり、横綱の地位で受賞している力士が多数を占めているこの年間最多勝。ただ、過去の歴史の中では今年の栃ノ心と同じように、大関の地位で受賞した力士も一定数存在する。
受賞経験を持つ23名の内、大関の地位(当該年11月場所終了時点)で年間最多勝に輝いたことがあるのは栃ノ心を除き、玉の海(1968年/当時玉乃島)、北の富士(1969年)、輪島(1972年)、若嶋津(1984年)、旭富士(1988年)、霧島(1991年)、朝青龍(2002年)、稀勢の里(2016年)の8名。史上初めて優勝無しで受賞した2016年の稀勢の里に関しては、印象に残っている好角家も多いことだろう。
一方、この8名の中で若嶋津、霧島を除く6名は、その後それぞれ横綱の地位まで昇進。あくまで年間最多勝の歴史だけを考えるならば、栃ノ心が今後横綱に昇進する確率は「75%」というなかなかの数字になる。
ちなみに、玉の海(1970年)、北の富士(1970年)、輪島(1973年・1976年)、旭富士(1990年)、朝青龍(2003年〜2006年)の5名に関しては、横綱でも年間最多勝に輝いた経験を持ってもいる。仮に横綱昇進となれば、その後の活躍もある程度は保証されると見て差し支えはないようだ。
年間最多勝に輝いた一方、先の11月場所では「8勝7敗」と振るわなかった栃ノ心。年齢も31歳と決して若くはないが、果たして残された現役生活の中で「75%」を引き当てることはできるのだろうか。
文 / 柴田雅人