やがて、ブロックはインドネシアのティペティールから積み出されていたグッタペルカという樹脂の塊で、かつてイギリスが独占的に買い付けていたことが判明した。そして、グッタペルカを運んでいた船が沈没して海中へ散乱し、長い年月をかけて海岸へ流れ着いたであろうと推定されたのである。
最初にグッタペルカ運搬船として取り沙汰されたのは、かの有名なタイタニックであった。タイタニックはイギリスからアメリカへ向かうグッタペルカを積んでいたともされ、大変にロマンチックな仮説ではあったが、残念ながら根拠には乏しかった。その後、さまざまな記録などから、第一次世界大戦でドイツの潜水艦に沈められた日本郵船の宮崎丸が運んでいたグッタペルカであろうと推定され、日本との奇妙な縁が示されたのである。
そして、漂着グッタペルカを運んでいたと推定される宮崎丸には、不吉なエピソードが残されていた。
日本郵船の欧州航路向け大型船として建造された宮崎丸は、明治41年(1908)の進水式に際して祝賀のクス球が割れず、関係者には不安を覚えるものもいたという。そして、宮崎丸の不幸な最後を知った人々は、進水式の不吉な出来事は凶事の前兆であったかと、暗澹たる思いを抱いたとされる。そればかりか、宮崎丸は燃料に質の悪い石炭を使用して不必要に黒鉛を吐いていたから、ドイツの潜水艦に発見、攻撃されたとの憶測が流れ、新聞がずさんな取材を元に批判記事を掲載したのである。
さらに、新聞の取材に応じた海軍軍人が、なんの根拠もなく「燃料の質を落とした差額を船員が着服した」とのデマを吹聴したことから、本来は被害者である商船員が故なき非難にさらされたのだ。
不幸な門出に祟られた宮崎丸は、最後まで呪われていたのだろうか?
(了)