日本では、大選手が引退まで大事にされるのは当たり前という感覚があるが、メジャーにはそれがない。同じ実力なら、若手の方が出場機会を与えられるため、将来、殿堂入りの可能性があるような大選手でも野手の場合は30代後半で姿を消すことが多い。
それなのにマーリンズはなぜ、真っ先にイチローと契約したのだろう?
大きな戦力となると見ているわけではなさそうだ。
今のイチローはかつての安打製造機ではない。今季の成績は打率が2割2分9厘でメジャー平均より2分5厘も低い。守備と盗塁に関しては依然平均以上の能力を保持しているものの、選手の貢献度を示すWARはマイナス1.2で、査定は480万ドル(5.8億円)のマイナスになっている。これは平均よりかなり低いレベルの貢献しかできなくなっていることを意味する。
それでもマーリンズがイチローとの契約を最優先にしたのは次の2点を評価したからである。
1:ロールモデル効果
ロールモデルというのは「お手本になる人間」という意味である。イチローが持つ(1)誰よりも体を入念に手入れする、(2)誰よりも真摯な態度で練習に取り組む、(3)誰よりも打撃理論に精通している、(4)誰よりも用具に関心を払い大切に扱っているといった姿勢は、若い選手が多いチームにあって生きた手本であり、球団首脳がぜひとも見習わせたいと思っている点である。
チーム内ではすでにその効果が出ていて、今季はシーズンを通してイチローに助言を求めに来る選手が後を絶たなかった。特にイチローの一番弟子のようになっていた一番打者のディー・ゴードンは有益なアドバイスを受け続けた結果、安打製造機に変身。打率3割3分3厘をマークしてナ・リーグの首位打者に輝いた。これは「イチロー効果」の大きさを改めて知らしめることになった。
球団がもう一つ高く評価したのは、今季チーム内で41歳のイチローだけが故障欠場やマイナー落ちがないままフルシーズン無傷でプレーを続けたことだ。今季マーリンズが地区優勝候補と目されながら71勝91敗と大きく負け越したのは、ケガや故障でDL入りする者が続出したからだ。故障しない選手も2、3人いたが、それらもスランプに見舞われてマイナー落ちしたため、終わってみるとフルシーズン稼働した選手はイチローだけ。球団は来季、何が何でも稼働率をアップさせたいので、その意味でもイチローが必要なのだ。
2:観客の満足度アップ
マーリンズがイチローを残留させた2つ目の要因は、観客離れを防ぐ手段の一つになりうるという読みもあるからだ。
マ軍はメジャーきっての不人気球団で、今季も1試合あたりの観客動員が2万1633人とナ・リーグの最下位だった。しかし、この数字も以前の1万4000〜1万8000人台に比べればかなりアップしているのだ。1〜3割観客動員が増えたのは主砲スタントンの一発を楽しみに来場するファンが多くなったから。
マーリンズはこの客を呼べる主砲を今オフ、他球団にトレードで放出する方針だ。昨年11月に交わした総額3億2500万ドル(390億円)の13年契約がチーム財政を圧迫しているため、高値が付くうちに放出してしまおうという魂胆なのだ。もし、これが成就すると、観客をつなぎとめておけるのは地元出身の若きエース、ホセ・ヘルナンデスの奪三振ショーくらいしかない。それだけでは不十分なのでイチローのメジャー3000本安打を大いに活用しようという算段なのだ。
イチローは今季終盤スイングが鈍くなり、9月は72打数10安打と不振を極めたため、シーズン91安打に終わったが、それでも通算安打数は日米通算で4213になりピート・ローズの世界最多安打記録4256まであと43に迫っている。メジャー3000本安打までは65だ。
この二つのうち日本で大騒ぎになるのは日米通算4256本の方だが、米国では大リーグ3000本安打の方がビッグニュースになる。この記録はあと65本で達成できるが、4人目の外野手として「通常の使われ方」をするだけでは達成できない可能性が出てきた。
4人目の外野手の平均打数は250打数程度なので、打率2割6分をマークしないと65本にならないからだ。しかしマーリンズはチーム方針で3000本達成を後押ししようとしているように見える。来季、チームが熾烈な地区優勝争いを繰り広げるようになれば、そんな数字にこだわっていられなくなるが、いつものように早い段階で地区優勝争いから脱落すれば、イチローの打率が2割2分程度まで落ちても3000本に届くような使い方をしてくれる可能性が高い。
それを考えるとイチローは実にいい球団に入ったと言える。
スポーツジャーナリスト・友成那智
ともなり・なち 今はなきPLAYBOY日本版のスポーツ担当として、日本で活躍する元大リーガーらと交流。アメリカ野球に造詣が深く、現在は各媒体に大リーグ関連の記事を寄稿。'04年から毎年執筆している「完全メジャーリーグ選手名鑑」(廣済堂出版)は日本人大リーガーにも愛読者が多い。