兄であり、師匠の孝之(56期)は練習熱心で有名。いまでも大きなレースの前には決まって合宿に行く。その兄貴に鍛えられて今もS1を張っている。
央治と書いて「エイジ」と読ませるのは変わっている。高校時代はバスケットをやっていて適性組で入校したが、同期の小橋正義(新潟)や濱口高彰(岐阜)のような成績の派手さはない。だが、ファンにとっては誠に頼りになる。
02年の弥彦ふるダビはまさに中澤の真価を発揮したレースだった。一次予選は混戦をまくった加藤圭一(神奈川)に追い上げ2着。それも直線3車の争いを制した。加藤―中澤の筋違いは(6)(9)で連単1万130円の大穴。二次予選は7着に終わったが、3日目は近畿ラインの中村美千隆(兵庫)の先行を前残し気味に差して1着。最終日はまくった中村を差して1着。ラインがあれば2着どころか頭から十分狙える選手だ。
05年の川崎サマーナイトフェスティバルは2着2着。小嶋敬二(石川)山内卓也(愛知)につく中近ライン。小嶋が早まくりして山内が追い込むとぴたり流れ込んで(9)(7)は4230円の中穴。直線の長い400バンクでは、中澤の流れ込みの脚が、本当にしっかりしているのが、目立つ。
この川崎戦、2日目も小嶋のバックまくりについて流れ込み2着。まさにラインがあると堅実な成績を残す。
最近は3着が多いが、4月の地元岸和田では市田佳寿浩(福井)の先行を使って1着。本来なら市田を2着に残すところだが、ホーム、バックをとった市田の逃げは12秒1と直線いっぱいの脚だったから、やむなくズブズブにしてしまったのだろう。2着はこれもしぶとい吉岡篤志(徳島)。下手をすると逆転されてしまうケースだった。
プロになったのが、87年6月。翌88年にはA級優勝。S級ではなかなか優勝できなかったが、91年の大津びわこで優勝を果たした。この人は400、500向きの脚質だが、33も苦にしない。松戸FIではいま売り出し中の先行・柴崎淳(三重)のまくりに1/8輪まで迫っている。直線からゴールまでの脚がしっかりしているのだ。
7月は東日本の配分が多い。弥彦FI、伊東FI、平塚FIと関東や南関ファンの前に顔を見せる。中澤らしい追い込みを見せて、関東の穴党を大いに喜ばせくれることを期待している。