その中でも、ひと際思い入れの強い勝ち星がある。81年の「第17回新潟記念」を優勝したハセシノブ(31戦7勝)である。「開業して初めて重賞勝ちをプレゼントしてくれた馬」だけに、感激もひとしおだった。
「気性が難しかったが、岡部(現評論家)がうまく乗ってくれた」と畠山重師。2着スパートリドンを3馬身1/2突き放したベストパフォーマンスのシーンが、記憶の底から鮮やかによみがえる。
ハセシノブは“親孝行な娘”だった。「脚元の丈夫な馬で引退するまで苦労させられた経験がなかった」と畠山重師は破顔一笑した。
もちろん、丈夫なだけが取り柄ではなかった。新潟記念を勝った勢いでオールカマーも優勝。さらに、翌82年に新潟大賞典で3度目の重賞勝ち。厩舎に多大な貢献をした。
畠山重師はそれから4年後の85年、今度はロシアンブルー(25戦7勝)で「第21回新潟記念」を優勝する。ほとんど手がかからなかったハセシノブとは対照的に、「気性が難しかったし、脚元(球節)に不安を抱えていたから随分苦労した」と言う。
「黒鹿毛で見るからに強そうだった。脚元を見なければね」苦労話で笑いが取れるのも年月の力だろう。しかし、手がかかった分、馬が恩返しをしてくれた。とりわけ、引退したこの年は破竹の勢いで鶴ケ城特別→七夕賞→新潟記念と3連勝を達成した。
その名は“ローカル馬”(新潟、福島で全7勝)列伝に刻印された。畠山重師はほかにマイヨジョンヌで96、97年と新潟大賞典を連覇しており、暑い夏がくると思い出話に花が咲く。