先陣を切ったのは西野忠臣(神奈川・20期)だ。東京読売巨人軍から、当時巨人軍のスカウトをやっていて競輪ファンだった沢田さんの紹介で、川崎で選手養成塾をやっていた小林三郎さんのところに入門。伊藤繁(21期)とともに激しい練習に耐えて合格、競輪選手を第二の人生として送った。
もう一人記憶に残っているのは宮本孝雄(茨城)だ。竜ヶ崎一高から東映フライアーズ(現日本ハム)に3位指名され投手として入団した。競輪では先行まくりから追い込みと頑張っていた。
野球出身者は小学校時代から厳しいトレーニングを経験しているので体力的に潜在能力がある。スポーツでいえばスケートの経験者の方がダッシュいいだけに、早期に上位進出が期待出来る。
大体、高校の自転車部に入るのは野球やサッカー、バレーボール、バスケットボール、陸上競技などより、その当時は体力的に劣るものが多い傾向があった。その中から競輪選手になるには適性組が多い。
適性組で合格して大スターになったのは滝沢正光(千葉)清嶋彰一(沖縄)のようにバレーボール、陸上競技が多く、中野浩一も高校時代は陸上の110メートルハードルの選手だったし、山田裕仁(岐阜)も陸上競技をやっていた。野球組も活躍しているが、サッカーの小門洋一(神奈川)の域までは到達していない。高校でエース級の選手が、競輪の厳しい練習に耐えれば大スターが誕生する可能性がある。さてどうだろうか。