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ローカル回想記 今だから話せる20余年前のあの真相とは

 ソ連のミグ戦闘機が函館空港に強行着陸、日本列島を震撼させたのは今から30年も昔のこと。
 そのミグ戦闘機にあやかって命名された馬がいた。1984年の関屋記念を優勝したハヤテミグである。
 名前に違わず、「並外れたスピードの持ち主だった」と話す鎌田準交厩務員。記憶の糸を手繰り寄せ、「ケイコはやればいくらでも動いた。新潟で調教レコードをマークしたこともある」と目を細めた。
 夏が来ると、鎌田さんの脳裏にほろ苦い想い出が去来する。関屋記念に続き、重賞連覇が期待された新潟記念のレース当日に、何と出走取消(左後脚フレグモーネ)。それを、朝刊スポーツ紙にすっぱ抜かれてしまったのだ。
 とっくに時効は過ぎ(?)、今だから話せるその真相とは…。「テキ(野平好師)が通院していた地元の歯医者で、うっかり不安をもらしちゃった。それを聞いた先生(医者)が、某スポーツ紙の記者に話した」ことが事件の発端だった。
 鎌田さんはこの一件はとっくに水に流したという。しかし、こうして当時の話に及ぶと「あの時、どうしてオレに“アポ”を取ってくれなかったのか」という切ない思いがよみがえる。 
 あれからふた昔以上経った今も、寝耳に水だったすっぱ抜き事件は心の隅に、刺さったトゲのように残っていた。鎌田さんは皐月賞(1着ミスターシービー)でも悔しい思い(骨折の為、出走取消)を味わっていた。
 まさに、悲喜こもごもだが、「ハヤテミグの一族を担当したおかげで、鎌田という名前を覚えてもらえた」と感謝の気持ちを忘れない。1つ上の全兄ハヤテタケル(中山大障害3着、東京障害特別2着)を担当したことも、かけがえのない思い出になっている。

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