ただ、“マッチ”と言っても、最近の若者はまったくピンとこないのではないか。FNSなどで彼を見かけた方は、「ジャニーズメンバーにちやほやされながら、さほどうまくもない歌を熱唱する、見たことがないオッサンがいる」という程度ではないだろうか。
マッチは、1979年にTBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒としてデビュー。同ドラマに出演した田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」としてトップアイドルの階段をのぼった。ジャニーズ事務所としては、嵐やSMAPはもちろん、光GENJIや少年隊やシブがき隊よりも先輩。1994年以降では同事務所でもっとも年齢が高いタレントであり、重鎮といえる存在だろう。
1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を記録。デビュー曲「スニーカーぶる〜す」は105万枚を売り上げる大ヒット。1987年には「愚か者」で第29回レコード大賞を受賞している。そんなマッチは、自身のセールスが好調であった時から、“歌がへたくそ”というイメージが一般層の中では定着していた。今年の紅白の選出された時も、「歌の下手なマッチを出すなら、もう一度、中森明菜を聴きたい」(マッチと中森は絶頂時に交際していたと報道されていた)との声もあった。ただ、FNS歌謡祭などで歌唱する姿を見ると、デビュー当時よりは大幅に改善されたようである。
そんなマッチは、数々の伝説を持つアイドルでもある。美空ひばりさんがテレビ収録のため、ステージで歌っている姿を舞台袖で見たマッチは、歌い終わった彼女に、「おばさん、歌うまいね」と声をかけたという。ちなみに、そんなマッチに、美空ひばりさんは、「人から歌がうまいねって言われたこと、初めてなの。ありがとう」と笑顔で返したとか。また、「歌番組のカット割りが気に入らず、自分で手を加えた」「宿泊先のホテルにビリヤード台やトレーニングマシンを搬入させた」との伝説も残っている。今の時代でこんなことをやったら、すぐに評判が悪くなることは間違いない。寛容な時代だったのか、それとも、それだけ特別なアイドルであったのか…。
マッチは前述のとおり、今年の紅白歌合戦に出場する。一部では、「和田アキ子の選出よりも不可解」との声が挙がっているようだが、35周年という節目の年であることからの選出であるという。マッチの絶頂期を知らない若い方は、彼の歌っている姿を見て、「なんだ、このたいして歌がうまくもないオッサンは?」とか、「35周年って、ずいぶん中途半端な…」などと決して不満を持たず、歴史に残るスーパーアイドルであることを肝に銘じて、リスペクトしなければいけない。
きっと生きていく中では、そんな寛容な気持ちも必要であるはずだ。