いきなり2連敗し、いよいよあとがない状態で迎えた初場所3日目の栃煌山戦。稀勢の里は「これがオレの相撲なんだ。こだわりすぎだと批判したいヤツは批判しろ」と言わんばかりに、これまで自分を支えてきた左差しを試みた。しかし、見事に空転…。逆に栃煌山にモロ差しを許してなす術なく追い詰められ、いよいよ土俵を割ろうとするとき、自らの敗戦を悟って力を抜き上空を仰ぎ見た。17年の現役生活にピリオドを打つ決意をした瞬間だった。
翌16日の朝、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が明かした。
「もう(稀勢の里は)土俵に上がりません。今日で引退します」
そして同日午後、急きょ設定された引退会見に稀勢の里は薄グリーンの着物に袴の正装という姿で現れた。
「私、稀勢の里は今場所をもちまして引退し、後進の指導に当たりたいと思います。横綱として皆様の期待にそえられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生に一片の悔いもございません」
稀勢の里は腹の底から声を絞り出して大粒の涙をこぼし、そのあとも涙が途切れることはなかった。
横綱在位期間はたった2年、12場所。その間、36勝36敗97休という散々な成績に終わり“最も勝率の低い横綱”“最も休場率の高い横綱”という不名誉な記録を残した。
しかし、相撲協会に対する貢献度は抜群。このことは稀勢の里が横綱になって以降、連日、大入り満員が続いたことや、引退会見の翌日に八角理事長をはじめ各所に挨拶するため国技館内を回った際、稀勢の里の行く先々に大勢のファンが群れ、「ありがとう」「ご苦労さん」などの声が乱れ飛んだことでも証明されている。
この集客能力の高い人気横綱を失った大相撲界は今後どうなるのか。気になることが2つある。
1つ目は、その穴を埋める人材が見当たらないことだ。稀勢の里が引退した日、北勝富士に辛勝しなんとか初日からの連勝を4に伸ばした白鵬は心境を明かした。
「(横綱は)つらい、大変なものなんです。見た目はよくても、勝たないとダメ。(稀勢の里に)あとを託された感じになりますね」
とはいえ、白鵬もすでに33歳。そう長くは託せない。
「大関陣も、もう30歳前後のとうの立った顔ぶればかり。先場所優勝した貴景勝をはじめ御嶽海、逸ノ城、阿武咲らの若手が伸びてきてはいますが、ポスト稀勢の里に名乗りを上げるにはまだ時間がかかる。しばらくは稀勢の里がいなくなった寂しさを噛み締める場所が続くでしょう」(担当記者)