私は中学生の時に『うしおととら』に出会ったのだが、この作品が、今までのところ、自分の人生の中で最も多く感動で泣かされた漫画となった。
とにかく『うしおととら』について語り出せば口も止まらないし、涙も止まらない。
当然のように『うしおととら』連載終了後に藤田和日郎が描いた漫画も追いかけ続けることになるわけだが、藤田の初の長編連載となった『うしおととら』に続く長編漫画が1997年から2006年の9年間にかけて少年サンデーで連載となった「からくりサーカス」であった。
少年誌のメインターゲットにとって9年間というのは本当に長い時間だと思う。
小学一年生なら中学を卒業してしまうし、中学生なら大学生か、社会人にでもなっていることだろう。
私が『からくりサーカス』の第1話を読んだのは中学卒業後のことであった。ただし、その時の自分は高校生にも社会人にもなっていなくて、当時の自分はある病気にかかり、約1年間ほど入院していたので『からくりサーカス』も最初の1年間は病院のベッドで読んでいた。その後、無事に退院して、高校生になり、大学生になり、大学を卒業した後、就職はせずに小説家を目指して作品の売り込みをしたり、芸人のまねごとのようなことをしている間に、『からくりサーカス』も完結した。
『からくりサーカス』の第1話を読んだ時から、最終回を読んだ日までのことを思い出したら、自分の青春を一緒に歩んでくれた大事な友人のような漫画に思えてきてしまうのだ。
大人にとっての9年と、少年にとっての9年というのはやはり違うもののように、いよいよ今年から30代に突入してしまう自分は思ってしまう。
Twitterがブームとなり、多くの漫画家もtwitterを始めているが、かつて少年(少女)時代の胸を熱くさせてもらった読者が、その漫画家をフォローするのだろう。人気漫画家は非常に多くの人にフォローをされていて、漫画同様にそのツィートも多くの読者に注目されている。
そんなtwitterで熱い男、藤田和日郎がまたやってくれた。
何とtwitter上で「からくりサーカス反省会」を突如行ったのである。
これは藤田がtwitter上で、からくりサーカスへの不満点、疑問点を直接、呼びかけることによって行われたもので、当然のように凄い数の意見、疑問が藤田の元には届いた。
だが、驚いたことに、藤田はそれらの意見、全てにたいしてリアクションを返したのである。私も二つ程、意見を述べさせてもらったのだが、藤田は一人の人間が二つの質問をすれば、その二つともにきちんと答えを返していた。
確かにtwitterでは一般のファンが芸能人や人気作家と直接やり取りを出来ることも時々あって、それがtwitterの人気の一つの要因にもなっていると思われるが、現役で大手の週刊少年漫画雑誌に連載中の漫画家が読者の疑問や意見に全て答える…などというのは、非常に珍しいことなのではないのだろうか。
当然のように藤田の行った「からくりサーカス反省会」は大きな話題となり、藤田をフォローしていなかった読者からも多くの意見が届いていた。
藤田はまたいずれこのような試みをまたやってみたいとツィートしている。
今まで以上に、藤田和日郎のtwitterと、そして漫画から目が離せない!!
※文中敬称略
(「作家・歩く雑誌」中沢健 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou