修斗以来、ここ15年の私の主生活は精神武道の創生であった。
来る日も来る日も思考と研究…。ルールを作りリングを作り、防具を作って選手を育てるものとは一転変わり、闘いにまつわる精神の解明と育成開発、学びの生活は、大変充実していた。
私は心の構造や大脳生理学や宗教や歴史、催眠までも研究してきた。闘いと人の環境を科学し、真の武道をつくる生活。史上最強の精神武道がもうすぐベールを脱ぐ。
武道とは自分の中に存在する、もうひとりの自分を生かすことである。闘いの心と普段の動的感情は同じシステムで成り立っている。
人は、環境、雰囲気、感情、情動という五感の受信量と、作用、送信を持つ。例えば、あなたの会社が、この先どうなるか分からないなどの、不安を背負ったとする。
それは闘いの前の選手の状況と同じシステムが作用し、もう一人の“自分の気分”をつくりだす。
人間は、記憶が優れ、未来が見える動物だから、心理と大脳の生理が不安をつくるのだ。酒など飲んで開き直るのは簡単だが、短時間の繰り返しに過ぎない。武道的にはもう一人の自分を内観し、心理と生理を生かすのだ。
例えば自分の会社が新聞社だとする。何があろうと文字は消えない。悪い状況下でも生かした仕事はさすがといわれ、部下や周りにも一体感を与える。敗残兵が見事復活するのは、その環境に生還への強い意思を持つからだ。優位への意思を愛し弱化への艶美(えんび)を憎む強い生き方をプリンシプルすれば、自己の変化もあり得る。
もう一つは、もうひとりの自分を生理的に変えてしまうことだ。どうしようもない気分が、突然もう一人の自分が充実した気分となったら? 催眠で犬や猫になってもしょうがない。どんな闘いにも不動となる心が重要。
それこそが自立への扉である。