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新重賞今昔物語 1999年セントライト記念を制したブラックタキシード

 数多いサンデーサイレンス産駒のなかで、ブラックタキシードは決して目立つ存在ではない。重賞勝ちは1999年のセントライト記念のみ。GIはダービーの5着がある程度だ。ディープインパクトやアグネスタキオンといった名馬と比較するまでもなく、いかにも地味な記録でしかない。

 しかしそんな成績以上に印象に残っているのがその容姿だ。肌は薄く、吸い込まれそうな黒。光の加減では青みがかって見える。そして額から鼻の頭にかけて緩やかに流れる白い流星。強烈な遺伝子を注入されたSS産駒でも、ここまで父に似ている馬は珍しい。
 そこを踏まえて16戦の競走成績を振り返ると、本当はもっと能力のある馬ではなかったのかと思えてくる。確かに成績欄の行間では、常にケガとの格闘を繰り返していたのだ。

 ひとつ年上にグラスワンダーがいた美浦の尾形厩舎から2歳の夏にデビュー。優れた父だけでなく、母の父にも米国?1種牡馬ストームキャットを配された良血だけに、新馬から3戦は当然のごとく1番人気になった。だがこれも父譲りの気性難が邪魔をして(2)(3)(6)着と振るわず。4戦目にはレース中に故障を発症し、競走中止の憂き目に遭った。
 それでも3歳春にはようやく軌道に乗り、かなりのハイレベルだったダービーはアドマイヤベガの5着。秋初戦のセントライト記念は久しぶりに1番人気に支持され、好位からきっちり末脚を伸ばし、シンボリモンソーの追撃をクビ差退けて重賞初Vを達成した。
 だが不思議といいことは長く続かない。次の菊花賞で14着に大敗すると、長丁場の反動か、脚元に不安が生じた。そこから1年半に及ぶ長い休養を経て、何とか戦列には復帰したものの、往時の輝きを取り戻すことはついになかった。
 しかも2001年のエプソムC(16着)の後、屈けん炎が見つかる不運も重なり、本当の底力を発揮できないまま、引退を余儀なくされた。
 種牡馬転向後、産駒は主に地方で活躍。父も、母の父も、ダート競馬の米国で実績を残したのだからそれも当然かもしれない。ちなみにブラックタキシードのダート経験は2度だけで(10)(1)着。もう少し可能性を見たかった気がする。

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