しかしそんな成績以上に印象に残っているのがその容姿だ。肌は薄く、吸い込まれそうな黒。光の加減では青みがかって見える。そして額から鼻の頭にかけて緩やかに流れる白い流星。強烈な遺伝子を注入されたSS産駒でも、ここまで父に似ている馬は珍しい。
そこを踏まえて16戦の競走成績を振り返ると、本当はもっと能力のある馬ではなかったのかと思えてくる。確かに成績欄の行間では、常にケガとの格闘を繰り返していたのだ。
ひとつ年上にグラスワンダーがいた美浦の尾形厩舎から2歳の夏にデビュー。優れた父だけでなく、母の父にも米国?1種牡馬ストームキャットを配された良血だけに、新馬から3戦は当然のごとく1番人気になった。だがこれも父譲りの気性難が邪魔をして(2)(3)(6)着と振るわず。4戦目にはレース中に故障を発症し、競走中止の憂き目に遭った。
それでも3歳春にはようやく軌道に乗り、かなりのハイレベルだったダービーはアドマイヤベガの5着。秋初戦のセントライト記念は久しぶりに1番人気に支持され、好位からきっちり末脚を伸ばし、シンボリモンソーの追撃をクビ差退けて重賞初Vを達成した。
だが不思議といいことは長く続かない。次の菊花賞で14着に大敗すると、長丁場の反動か、脚元に不安が生じた。そこから1年半に及ぶ長い休養を経て、何とか戦列には復帰したものの、往時の輝きを取り戻すことはついになかった。
しかも2001年のエプソムC(16着)の後、屈けん炎が見つかる不運も重なり、本当の底力を発揮できないまま、引退を余儀なくされた。
種牡馬転向後、産駒は主に地方で活躍。父も、母の父も、ダート競馬の米国で実績を残したのだからそれも当然かもしれない。ちなみにブラックタキシードのダート経験は2度だけで(10)(1)着。もう少し可能性を見たかった気がする。