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江戸時代「おもち」は高級品だった? 「鏡餅」の由来は? 意外と知らないおもちトリビア

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 お正月の定番食材といえばお餅だ。お雑煮、お汁粉、焼き餅とさまざまな食べ方がある。今はどこにでもある食材のひとつだが、かつては高級品として扱われていた。

 今でも丸い餅を「鏡餅」として神様の前にお供えする風習がある。この丸みは、三種の神器である八咫鏡(やたのかがみ)の丸い形、人間の心臓の形、人間関係の円満さなどがその由来だとされる。さらに長寿祝いに出される餅も「長持ち」と引っかけて、長寿を祈願する意味合いがある。このように、餅と日本の伝統文化には深い関わりがある。

 今は餅と言えばお正月のみに食べるものとされているが、当時は一年中食べられていた。特におめでたい「ハレの日」に口にする食べ物として知られた。新年もそのひとつであり、餅が用意されたのだ。

 昔は年末になると専門の職人が街に餅を売りに来て、庶民はそれを買った。餅を買うことで「今年も年を越すことができた」と安堵するのだ。年末の臨時収入を「餅代」と呼ぶのはこのなごりだ。一方で金持ちの場合は豪勢で、自宅に餅職人を呼び、その場でつきたての餅を食すこともあったようだ。

 さらに餅は主食として食べられるばかりではなく、和菓子の原料ともなった。今ならばどこでも売られているわらび餅は、植物のわらびを加工して取り出したでんぷんから作るもの。江戸時代は超高級食材だった。

 通常の餅であっても、庶民の誰もが口にできたわけではない。お正月の定番メニューである雑煮も、餅入りのものは高級品とされた。餅を買うお金のない人間は、里芋を入れて餅の代わりにしたという。現在、お雑煮の食材の定番となっている里芋であるが、あの粘り気で餅の代用品にもなっていたのだ。

 お餅ひとつ取っても、日本文化と日本人との深い関わりが見てとれるエピソードがたくさんあることが分かるだろう。

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