デビューから9年目で大願成就したキスマイ。11年のデビュー時には、前方メンバーの藤ヶ谷太輔、北山宏光、玉森裕太、後方メンバーの横尾渉、千賀健永、二階堂高嗣、宮田俊哉との間に圧倒的なメンバー格差があった。それもPRの素材となった。
解散したSMAPの元チーフマネージャーで、現在は香取慎吾、稲垣吾郎、草彅剛が所属する株式会社CULENの代表取締役・飯島三智さんがキスマイの担当になったことで、メディア露出が急増。SMAPとのバーターで、有名音楽番組やバラエティ番組に数多く出演した。
ジャニーズJr.歴が最も長いのは、藤ヶ谷。11歳(98年)でJr.の一員になって、7年後に前身グループであるKis-My-Ftを結成。以降は、“エビキス”の呼び名で長い間A.B.C-Zと競っていた。CDデビューにこぎ着けたのは、グループ結成からおよそ6年後。気付けば、下積み生活は13年になっていた。
群雄割拠のジャニーズの世界において、キスマイに助言を与えたのは、あの中居正広だ。
「後方の4人を『舞祭組』と命名。キスマイデビューの2年後(13年)にリリースした舞祭組の初シングル『棚からぼたもち』から3曲連続で中居はプロデュース、作詞を手掛けました。ダサく、面白く、精いっぱいでも失敗してしまう彼ら本来の持ち味をさらに伸ばすには、フロントメンバーが格好良くなくてはいけない。泥臭い舞祭組とイケメンの3人。『この両方の方向性がどんどん大きく離れていくことが、グループとしての幅につながる。だから、おまえらはカッコよくいろ』と、中居さんは藤ヶ谷さんにアドバイスを送っています」(アイドル誌のフリーライター)
キスマイは岐路に立ったとき、いつも中居に助けられてきた。
デビュー後、キスマイが初めて7人そろって出演したバラエティ番組は、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の恒例料理コーナー「BISTRO SMAP」(2011年)。極度の緊張で全く話せなかった7人に中居は、「分かった。編集で切るから、しゃべりたいと思ったヤツは手を挙げろ。『藤ヶ谷』って言われたら、手を下ろして、2秒後にしゃべれ」と教え、映像上の編集起点や、7人が話しやすい雰囲気を作った。
キスマイはSMAPにとって最後の愛弟子。木村拓哉も藤ヶ谷をかわいがっており、プライベートも共にする。だが、中居の愛情のかけ方は、もはや先輩の枠を超えて親戚のおじさんさながら。5大ドームツアーに続いて、紅白初出場。そのサクセスストーリーは、SMAPも歩んだ道だ。
大みそかは、「ポストSMAP」と推してくれた中居の思いを胸に、NHKホールのステージに立つのだろう。
(伊藤由華)