名女優の最期は孤独死だった。大原さんの弟がかけた警察にかけた電話が発見につながった。今月3日、都内に住む弟が成城署に電話で相談。署員が様子を見に行ったが鍵がかかり中に入れなかった。6日午後7時10分ごろ、合鍵を持った弟が同行して、署員4、5人と家に入ると、大原さんは2階の寝室であおむけに倒れていたという。
成城署によると、死後2週間以上経過しており、警視庁が詳しい死因を調べている。外傷や着衣の乱れはなく、自殺の可能性はないこと、門扉や玄関などが施錠されており、現金が盗まれた形跡もないことから、事件性は薄いとしている。
しかし、マスコミ関係者からはこんな声も。「事件ではないにしても、死後2週間とは、時間が経ち過ぎている。あれだけの人だから、自宅に出入りする人はある程度いたのでは」(週刊誌記者)。
大原さんは99年に急に手や脚に力が入らなくなり、歩行障害などを引き起こす難病ギラン・バレー症候群を患い、表舞台から遠ざかっていた。昨年11月、自宅ガレージで転倒事故を起こし、右手首を骨折、ひざを打撲するなどの重傷を負った。
また、一部マスコミには、91年と93年に乳がんの手術を受けていたことを明かしていた。91歳の実母が施設に入所しており、介護での心労もあったようだ。病気後は薬の副作用から、そううつ状態が激しく、知人に頻繁に電話をかけるものの、話の内容に整合性がとれないことが多く、次第に友人らは距離を置くようになったともいわれる。最近は金銭的にも楽でなく、ブランド品を売るなどしていたという。「健康状態がすぐれず、人づき合いから遠ざかっていたんでしょう。しかし、それなら逆に、心配して様子を見に来る人がいてもいいはず」(同)。
大原さんは東京都出身。1964年、NHKのオーディションに合格してデビュー。65年「孤独の賭け」で映画の世界へ。「網走番外地」「男はつらいよ」のシリーズや「獄門島」「おはん」など多くの作品に出演。独特のハスキーな声と落ち着いた演技で存在感を発揮した。テレビでもNHK大河ドラマ「春日局」(89)に主演したほか「獅子の時代」「山河燃ゆ」などで活躍。テレビ局の好感度調査でも幅広い支持を集めた。ウイスキーのCMでも人気で「すこし愛して、ながーく愛して」は流行語になった。
◎連絡がとれないと弟が異変に気づく
東京都世田谷区の閑静な住宅街にある女優・大原麗子さんの自宅周辺には6日夜、報道陣約30人が詰め掛けた。警察官が警戒に当たり規制線が張られるなど、騒然とした空気に包まれた。
近くに住む男性(57)は「大原さんが住んでいるのは知っていたが、姿を見たことは一度もなかった」と心配そうに様子をうかがっていた。
成城署によると、今月3日、都内に住む大原さんの弟が「2週間前から(大原さんと)連絡が取れない」と同署に通報。署員が様子を見に行ったが、鍵がかかっていて中に入れなかった。6日午後7時10分ごろ、大原さんの弟と警察官が室内に入り、遺体を発見、大原さんと確認した。