−−お二人とも初めての本ということで、執筆は苦労しましたか?
みょーちゃん「いや、二人で書いたということもありまして、そんなに大変ではなかったですよ」
岩原「むしろ、まだ書き足りなかった感じで。終った後にこんなネタもあったなって思うことも」
みょーちゃん「ただ、岩ちゃんが意外に忙しくて連絡すると、『今、雪山にいます』みたいな感じで、打ち合わせしようとしても冬の間、全然取れなかったりとそういった苦労はありました」
岩原「すいません。プロスノーボーダーとしても活動しているんで、冬は稼ぎ時でして…」
−−全部で200以上のオリジナルネタが掲載されていますが、ネタ集めはどのように?
みょーちゃん「同級生がかなり東京に出て来ているんで、彼らに会って情報収集したり、あとLINEで地元の友人知人とグループになって、ネタを集めたりしました」
岩原「僕は毎月定期的に帰っているんで、地元に戻ったときにネタ集めしました」
−−お二人とも地元を離れてどのくらい?
岩原「僕は15年ほど前です。地元で就職した後、芸人目指して東京へ出てきました」
みょーちゃん「もう20年になりますね。芸人になりたくて、大学と同時に地元を出て大阪の松竹芸能に入りました。ただ、今も年2回くらいは鳥取に帰っています。ネタとして取り上げようとした店舗など、地元で確認を取るとすでに無かったりして、そのへんの苦労はありましたね」
−−二人は事務所も違いますが、一緒に仕事をすることもあるのですか?
みょーちゃん「いや、全然ないです。ただ何年か前に芸人の飲み会があって、『え?出身、鳥取?』みたいなレアな出会いだと思って、仲良くなりました」
岩原「ただ、僕ら鳥取は鳥取でも東部と西部で違うんで、そこまで一気に意気投合したという風にはなりませんでしたね」
−−どういうことでしょう?(笑)。鳥取でも東部と西部で違うんですか?
岩原「全然違います。本でも書いていますが、文化的にも考え方も同じ県民性じゃ語れないくらいに違います。みょーちゃんの西部は明るくて社交的な人が多いんですが、僕ら東部はすぐに壁を作りたがる。陰と陽という感じです」
−−そうなんですか…。では、特にお勧めのあるあるネタを挙げてもらえますか。
岩原「色々あるんですが、県外の人にはやっぱり砂丘ネタが喜ばれますね。『砂丘にはサソリも、オアシスもない!』という感じでしょうか」
みょーちゃん「『砂丘を維持するために皆で草抜いている』って言うと驚かれますね。数少ない貴重な観光資源なので、結構維持するのが大変なんですよ。でも、砂漠との違いを分かっていない人が多い」
−−茶化される意味で話題になりやすい鳥取ですが、出身者としてはどう思うのでしょうか。不愉快だったりします?
みょーちゃん「いや、全然。中途半端より嬉しいです。島根とか、佐賀とかが「どこどこよりはウチは都会!」と言って他県をライバル視することありますが、鳥取だとそんな気もない。一番下だし、ライバル県もないし、どんどんネタにしてくれって感じです」
−−では、鳥取の魅力といえば、一言でどんなことがあるでしょうか?
みょーちゃん「完全にどこの県よりも“伸びしろ”があるところですね。鳥取県出身者では初めてというようなことがいっぱいあるんです。ちょっと頑張れば県で“唯一の存在”になれたりする(笑)」
岩原「“無い”ってことがブランドだと思っています。ただ、最近スタバもセブンもできちゃって、“無いブランド説”が崩壊気味です(笑)」
−−最後にメッセージを御願いします
みょーちゃん「鳥取の皆様、これを機会に仕事ください(笑)。ふるさと大使になりたいので、宜しくお願いします」
岩原「鳥取への愛をもって芸能活動していますが、行くと結構冷たいので、もっと皆応援してください(笑)」
■みょーちゃん 1975年9月23日生まれ、鳥取県境港市出身。鳥取県立米子西高校を卒業後、大阪で松竹芸能養成所に入所し、お笑い芸人として活動を始める。現在は東京に拠点を置く。『爆笑レッドカーペット』『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)などで活躍。
■岩原弘幸 1979年11月27日生まれ、鳥取県鳥取市栄町出身。日進〜南中〜青谷。東京で太田プロダクションに入り、お笑い芸人として活動を始める。現在は東京に拠点を置きながら鳥取でMC業を中心に鳥取砂丘サンドボードや、棚ボタ弘至の名前で鳥取だらずプ ロレスでも活躍中。