高橋近くの河岸には行徳に通う船の発着所があり、その対岸には岩出屋の油倉庫が並び建っていた。行徳通いの伝馬船が5艘、やはり高橋の下に避難していた。
徳次達がいる橋脚がいっぱいになると、その5艘の伝馬船めがけて人々が飛び降りた。船頭達は女子供だけを乗せた。やがて両岸をすっかり火が覆うと、船中にも火が迫った。船頭達は乗せた女子供を置き去りに水中に飛び込んでしまった。置き去りにされた者は船が焼けてくると、水中に跳び込み溺れたり、残って船とともに焼死するという無残なことになった。焼けた船は水上部分のない、筏(いかだ)のような姿で、船底のみが漂っていた。
徳次が橋脚に逃げ込んだのが午後4時頃。それから約1時間後には猛烈な火柱が横に尾を引いて、橋の下を抜ける形で岸から岸へ走り始めた。橋脚にいた者も伝馬船の者も、ほとんどが水中に跳び込み熱さを避けようとした。
岸にいた群衆も一斉に水中に跳び込んだ。そして、橋の台石や伝馬船の端、岸などに縋(すが)って首だけ水上に出している。それらの人々が念仏やお題目を唱える。徳次はそれらの光景を何とも言えない悲壮な思いで見ていた。
うろたえまいとして熱いのを我慢しながら、じっと気を落ち着けさせるように動かずにいた。しかし橋脚が次第に熱くなって、徳次も遂に伝馬船の残骸に跳び移った。そして船底に身を伏せ、底に溜まっていた水に身を浸らせ、両手で背中から後頭部へ絶えまなく水を掛けた。そうしなければ熱くてじっとしていられないのだった。
人の声がするので見ると、すぐ側にお婆さんと子供2人がいる。子供は「おばあちゃん、熱いよ、熱いよ」と身を震わせている。お婆さんは一心に念仏を唱えていた。徳次は手をのばして子供達を自分のいる水溜りに引きよせ水を掛けてやった。それからお婆さんにも水を掛けた。