今年の11月、国土交通省は第1回の全国的な橋梁、トンネルの点検結果をまとめた「道路メンテナンス年報」を公表した。改正道路法の定義では、橋梁やトンネル等の健全性は、以下の4段階に区分され、評価される。
(1)『健全』:構造物の機能に支障が生じていない状態。
(2)『予防保全段階』:構造物の機能に支障が生じていないが、予防保全の観点から措置を講ずることが望ましい状態。
(3)『早期措置段階』:構造物の機能に支障が生じる可能性があり、早期に措置を講ずべき状態。
(4)『緊急措置段階』:構造物の機能に支障が生じている、または生じる可能性が著しく高く、緊急に措置を講ずべき状態。
当たり前だが、わが国のインフラサービスが健全に維持され、国民の生活や安全に害を及ぼさないためには、(1)の『健全』が多ければ多く、(3)『早期措置段階』及び(4)『緊急措置段階』が少なければ少ないほど望ましいわけである。
道路メンテナンス年報によると、国交省が管轄・管理する橋梁3万7766橋のうち、今回は5844橋について点検が実施された。結果は、(1)が2787橋、(2)が2292橋、(3)が763橋、(4)が2橋となっている。
都道府県及び政令市等の管理下の道路の場合、橋梁18万2297橋の内、2万1788橋について点検を実施。(1)が7665橋、(2)が1万595橋、(3)が3522橋、(4)が6橋であった。また、市町村管理分は、橋梁48万355橋のうち、3万2451橋について点検が実施され、(1)が1万1481橋、(2)が1万5840橋、(3)が5029橋、(4)が101橋という結果になった。
当然のことながら、橋梁は建設経過年数が長くなるほど(3)、(4)が多くなり、特に建設後40年を経過すると、激増する傾向にある。橋梁に限らず、インフラには寿命があるのだ。わが国では高度成長期に莫大なインフラ投資が実施されたわけだが、当時、建設した橋梁が「老朽化」の領域に突入しつつあることが理解できる。
その他、高速道路会社管理分を含めると、全体では全国の橋梁およそ72万のうち、9%に当たる6万4000橋近くについて点検が行われ、15%前後に橋桁の錆や橋脚のひび割れが発生し、速やかに補修工事が必要(〈3〉、〈4〉)なことが確認された。さらに、地方自治体によっては、専門の技術職員がいないケースがあり、財政状況が厳しい自治体ほど補修が必要な橋の割合が高くなる傾向があることも分かった。
この6万4000橋のうち、15%が「速やかに補修工事が必要」ということは、橋梁数全体(約72万橋)に換算すると、10万8000もの橋が「速やかに補修工事が必要」である可能性があることになる。
これは莫大な「需要」である。老朽化した橋梁の点検、補修工事だけでも、わが国には十分な需要が存在する。それにもかかわらずわが国では、
「日本国民はある程度は豊かになり、欲しいものを手に入れているのだから、日本の需要は増えない」
などと、奇想天外と表現しても構わない暴論を口にする人が少なくない。
この手の暴論を主張する人に理解してほしいのは、まずは若い世代は所得が不十分で、そもそも「欲しいものを買えない」状況にあるという現実だ。自分たちは「欲しいものはない」からといって、全体の傾向を決めつける、その発想方式自体が「思考停止」と断言できる。
さらに、そもそも需要とは名目GDPのことだ。名目GDPは民間最終消費支出、政府最終消費支出、民間住宅、民間企業設備、公的固定資本形成、純輸出にブレイクダウン(細分化)することが可能だ。ちなみに公的固定資本形成とは、公共投資から「用地費」などGDPにカウントされないものを除いた金額になる。
実際には「嘘」ではあるが、例えば民間・政府の消費が十分であったとしても、住宅投資や企業の設備投資、そして公共投資という「投資」需要が満たされているとは限らないのだ。そして現実の日本は「投資の不足」により低成長にあえぎ、さらにはインフラの老朽化が「時間との勝負」な状況に至っている。
デフレ下の日本は、公共投資はもちろんのこと、総固定資本形成全体を減らしていった。総固定資本形成とは、名目GDPの「民間住宅」「民間企業設備」「公的固定資本形成」という投資の合計になる。投資を削減し続けたわが国では、結果的に需要不足が終わらず、デフレからの脱却を果たせず、将来の成長や豊かさの希望を国民が感じられなくなり、
「日本はもう老朽大国なのだから、投資をしても無駄だ」
という、情けない投資否定論が蔓延し、ついには国家の基盤たるインフラまでもが危うくなりつつあるわけである。
逆に考えると、日本は「橋梁の危機という需要」を満たそうとするだけで、総需要不足というデフレ経済を終わらせ、堅調な経済成長路線を歩むことができるのだ。政府が「橋梁の危機」に真剣に取り組む(つまりは、予算を使う)だけで、それを呼び水として、民間企業の設備投資も継続的に拡大していくことになる。
橋梁の危機を、「橋が老朽化した。もう日本は衰退する」と、受け止めるのか。それとも「橋梁の危機という需要」と認識するのか。
前者が衰退の道であり、後者が繁栄の道だ。
われわれ、現在の日本国民は、高度成長期に代表される「過去」の日本国民のインフラ投資の恩恵を受け、それなりに快適で安全な生活を送ることができている。過去の国民の投資の恩恵を受けたわれわれが、老朽化した橋梁のメンテナンスを放棄し、将来世代に崩壊したインフラを譲り渡すのか。
「そんな無責任なことはできない」
と、思う国民が“少数派”だった場合、わが国は普通に衰退の道を歩んでいくことになるだろう。
みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。