私はこのコーナーに出る前から山田のことは一方的だが良く知っていた。山田は多くの素人参加番組に出演して、ネタを披露していたのだ。特に印象的だったのが、素人芸番組『ドバドバ大爆弾』(東京12チャンネル)でのネタである。後に代表的なネタとなる「バスガイド」ネタを披露していて、その印象が私の中にずっと植え付けられていた。
そんな山田の行動を見て、自分も素人として出演できるテレビ番組を必死に探し、多くの素人参加番組に出ることができた。しかし、私が素人参加番組に出演している頃に、山田は一気にブレークしてしまい、すでにお茶の間の人気者になっていて、手の届かない存在になっていた。ようやく山田と会えたのは、私が高校2年生の時に『全日本そっくり大賞』(テレビ東京系)に出演した時で、司会者だったのが山田である。素人番組出身の山田が司会者ということで、出演者の気持ちも良くわかっている感じで、私はそこで大した結果は残せなかったが、すごく気分良くネタができた。それから私は高校卒業と同時に芸人になるのだが、無名芸人だったので、素人番組に出ることも多かった。89年に『スター生たまご・邦子のいまドキ芸能界』(日本テレビ系)に出演して、再び山田司会の番組に出演することに。しかし芸人になったばかりの私はトークスキルも低く、なかなか結果を出せなくもどかしい結果になっていた。
そんな頃に私の芸人としてのスキルアップできる話しが舞い込んで来た。90年になったばかりの頃に、すでに人気番組として放送されていた『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)の仕事の依頼が来たのだ。といっても出演ではなく「ものまねベスト5」というコーナーの前説の依頼だった。出演できないのは残念だが、人前でトークができるので、喜んで引き受けることにした。
仕事はコーナーの始まる前の10分くらいをトークで繋ぐみたいな感じだったので、何とかこなせていたのだが、何回か収録を経験すると、今度は「中説をやってくれ」と言われた。「中説」って何? って感じだ。このコーナーでは山田が5人のものまねを披露するのだが、最初の4人はVTRで見る形式で、残るひとりを実際にお客さんの前で披露する流れになっていた。その1位の前に山田は準備のため一度ステージから掃けてしまう。その山田が準備が終わって戻るまで話しを繋げる仕事である。だいだい10分程度で戻ってくるのだが、島倉千代子のものまねの準備の時に、着物の着付けなど大変な準備があったので、そこで45分待ちとなってしまった。その45分を私ひとりでトークをするという拷問のようなことをやらされてしまった。
かなり厳しかったが、何とか乗り越えることができた。そこで戻って来た山田が「今日は大変だったけどありがとね」と言ってくれた。それがキッカケかどうかわからないが、山田が司会をしていた『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ系)の前説の仕事の依頼が来た。今度は前説だけでなく、クイズのVTRでの出演もさせてもらった。
山田との出会いがあったことで、トークを中心に様々な勉強をさせてもらえた。私は25歳の時に、芸人をフェイドアウトするような形で引いてしまったが、それまでずっと山田にスキルアップの活動の場を与えてもらっていたと言える。すでに20年以上の月日が経ってしまっているが、山田は自分の人生に大きな影響を与えてくれた大事な人でもある。いつか山田に会って感謝の気持ちを伝えたいと思う。とりあえずここで「邦子さん本当にありがとうございました」。
最後に言っておきますけど、もちろん本人の前では「山田」なんて言えませんから(笑)。
(ブレーメン大島)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。