この作品は中年会社員の杉山正平(役所広司)が、ある日、電車から見える小さなダンス教室の窓から、元プロダンサー・岸川舞(草刈民代)が顔を覗かせていたことをきっかけに、教室に通うことから始まる。
なお、劇中だと社交ダンスは、女と触れ合う「女好き」がやる恥ずかしいスケベな趣味だと思われている状況となっている。この辺りは、同作と同じく周防正行監督作品である『シコふんじゃった。』によく似ている。この作品でも相撲で裸になるのを極度に恥ずかしいものだと描写していた。そういった勘違いにあふれた、未知の領域に主人公を飛び込ませることで、馴染みの薄い人にもわかりやすくしている。
しかし同作では、未知の領域に踏み込ませるやり方が、さらに過激な印象だ。中年のおっさんが、ダンス教室の前に入るか否かうろうろと迷っており、まるで風俗店に初めて入る若者のようだ。元々、ダンス教室の講師である舞に目を奪われたことがきっかけということで、その後、妻である昌子(原日出子)にも内緒にしている辺りも、いけないことをしているような印象に拍車をかけている。さらに、不審な動きをしているということで昌子には探偵を雇われ、ダンス教室に通っていると判明しても浮気を疑うという状況だ。
他にも、同じ会社の社員で、これまた同じくダンス教室に通う、青木富夫(竹中直人)の言葉を通してもダンスをやってることがバレると会社で何を言われるかわからないと語らせる場面なども用意されており、とにかく序盤はダンス自体が恥ずかしいことだと強調させる。そこで仲間達との交流を通して、無趣味で会社と家の往復だけだった主人公が、段々と舞ではなく、ダンスそのものの魅力に気づいていくというのが、この作品の大きな流れだ。
作品全体として、コメディーノリはかなり意識している。そこは青木演じる竹中と、青木や正平のダンスパートナー・高橋豊子を演じる渡辺えり子の存在が大きいだろう。普通だったら違和感がありそうな、かなりオーバーな演技で、職場や家庭といったリアルな空間との対比を印象づける。青木はダンスが「気持ち悪い」と言われてパートナーのダンサーにコンビ解消などを言い渡される、かわいそうなポジションの役どころになっているが、確かにあの笑わせにきているとしか思えない、ねっとりとした表情では仕方ないところだろう。
竹中は『シコふんじゃった。』でも相撲部の部長をやるなど、コメディー要素で重要な位置にいたが、他にも同作で出演していた柄本明が探偵の役で、田口浩正がダンス教室に通うサラリーマンとして『Shall we ダンス?』にも出演するなど、脇役は周防監督に近い役者で固め、上手く話を動かしている。
脇役は文句なしにいいのだが、それと比較するとメインの役者がちょっとイマイチなのが、この作品の残念なところ。役所が無趣味のサラリーマンという役なのであまり動きがない。その影響で、凄まじく淡白な人物に見えてしまう。ダンスに熱意を注ぎ始めた心境変化もわかりづらくなってしまっている。
それに加え、舞役の草刈が、当時バレリーナで、この作品が女優業を始めて間もない頃ということもあり、どうしてもセリフが慣れてない点が気になる。ダンス講師というポジションであることもかなり問題だ。社交ダンスがどういうものかを説明しなければいけない役という関係上、セリフ量も増えるし、専門用語も多くなる。それらのセリフを完璧に言うことに集中しすぎているのか、過度に説明的な描写が際立ってしまう。
さらに話しているときの表情も硬く、何を考えているのか、非常にわかりにくくなっている。そのために草村礼子がもう1人のダンス講師・田村たま子を演じているのだろうが、これがまた逆効果な面も。舞が何を考えているかわからないような状況のため、たま子が、正平がダンスに興味を持ちそうな魅力の大部分を語っているような印象を受けてしまう。前記したように正平は、他人のプライベートにあまり突っ込むようなタイプでもないので、結局、舞の魅力は容姿だけという感じになってしまうのだ。
とはいっても、なんの刺激もない生活をしていたサラリーマンの、ある意味では再生の物語としては、鑑賞して楽しい部類だろう。作品はコメディーがありつつもシリアスにやるところはちゃんと抑えている。ちゃんと最後は、浮気調査をしていた妻とも和解し、全員幸せといった形で終わる。ただ、ブラック企業問題などがニュースで取り上げられる現在では、この作品の登場人物の行動すらバブル時代のような優雅な雰囲気を感じてしまう可能性がある。その部分ではある意味かなりの憂鬱な作品かも?