濁流が引いた直後の常総市を記者が訪れると、市の中心部はメチャメチャ、商店街付近の道路のアスファルトはズタズタ。いまだ水が引かないところもあり、流された車があちこちで横転しているなど水害の爪痕が生々しい。そんな被災地で自宅1階が水没した50代の男性が、こう恐怖を語る。
「2メートル、2メートルの水だよ。濁流が! 2階までの水。1階は全滅。車3台も水没してしまった。とても怖かった。周りには行方不明者もいる。濁流に流され俺も一歩間違えば死ぬところだった」
1階の畳も床も、すべてドロドロの上にボー然と長靴姿でたたずむ男性。そして、その失意の中、こう蓮舫氏を非難し始めた。
「民主党時代に蓮舫が仕分けでスーパー堤防を廃止しましたよね。一時、公共事業を次々と止めた影響がまわりまわって鬼怒川堤防修復の遅れにつながったのでは、と思えてならない」
「スーパー堤防」とは、400年に一度の大津波や河川の大氾濫を想定して国交省が進めてきた事業。具体的には、'87年から首都圏及び近畿圏の大規模河川に巨大堤防を建設してきたが、蓮舫氏らがこれを一時、廃止に追い込んだ。
国交省担当記者がこう語る。
「もともと同事業は12兆円を投じ、400年間を掛けて完成させるというものだった。それを民主党が政権を取った'09年以降、蓮舫ら“仕分け隊”は、『400年に一度の災害にカネをかけているのはヘン! 10年、20年の目先の災害にカネを使え!』と、廃止に追い込んだのです。もっとも、その後、東日本大震災を機に事業は一部復活しています」
前出の被災住民が怒る。
「決壊したのは、もともと10年に一度の大雨で危険視されていた箇所。国交省も堤防のかさ上げや拡幅工事の予定はあった。しかし、20キロ下流の利根川合流地点から上流に向け工事は順番に行われていたものの、予算が少なくて改修に必要な4割しか達してない。決壊場所も昨年から用地買収に入ったばかりだったのです。つまり、危ないと分かっていながら工事が遅れていた。あの“仕分け”がなければもっと工事は先に進んでいたのでは…」
スーパー堤防と鬼怒川堤防決壊は、確かに直接にはリンクしていない。そのため被災住民の蓮舫氏への怒りは八つ当たりのようにも思えるが、被災住民の怒りは“仕分けの連鎖疑惑”にあるようだ。