浅草は妖怪と縁のある地である。同地の「牛嶋神社」にはその昔、牛の化け物が出て暴れまわったという伝説が残されている。1251年、名君として名高い鎌倉幕府5代目執権北条時頼のころ、浅草寺に牛に似た化け物が乱入するという事件が発生した。その際、食堂に集まっていた僧50人のうち24人が毒気に当てられて病となり、7人が即死したという。この牛の化け物が落としていった球が奉られているのが「牛嶋神社」であると伝えられている。
浅草には、ほかにも妖怪伝説を持つ寺社が存在する。浅草寺の近くにある鎮護堂には狸の伝説が残されている。明治4年に建てられた浅草寺には、もともと古狸が住んでいた。古狸は長年愛用していたねぐらを奪われたことに激怒し、さまざまな悪戯をするようになった。しかしある時、今まで悪戯をしていた古狸が小僧に化け、僧正の夢の中に現れた。彼は「自分は境内に住んでいた狸である。住処(すみか)を奪われて困っている。祠(ほこら)を建てて私を其処(そこ)に奉って欲しい。そうすれば悪戯はやめる」と告げたという。
そこで、山の一角にお堂を建てた。すると不可思議な現象は起こらなくなったのだという。さらに浅草には、有名な「鬼婆伝説」も残されている。浅草の鬼婆は浅茅ヶ原の一軒家に住んでいたという。老女は娘と住んでおり、旅人に宿を貸しては、石枕で頭部を潰して命を奪っていた。被害者は999人にも上ると伝えられている。そして、1000人目の旅人が泊まった折、惨劇に心を痛めていた娘が旅人と入れ替わり、彼女自身が1000人目の被害者となった。
娘は、母に己の過ちに気がついてほしかったのである。己の娘を殺害してしまったことをひどく後悔した老婆は、池へとその身を躍らせたのだという。その池は後に「姥ヶ池」と呼ばれるようになり、現在は浅草にある花川戸公園となっている。このように、浅草とは妖怪と深いつながりのある町なのである。
ホラー作家の山口敏太郎氏は「人の願望、妬みや恨みなどの情念がこの鬼を生み出したのかもしれません。昔から人が鬼になるという言い伝えは数多く残っていますし、いろいろな人のマイナスの念が集まって鬼を作り出すというのは十分ありえます。さらに、この写真が撮影されたのは浅草寺。浅草寺にはマイナスの念を抱いた人たちが訪れます。その念が渦巻き、形となったのが今回現れた鬼神ではないでしょうか。鬼は人の心の暗部なのです」と述べている。
浅草寺では毎年2月の節分の日に豆まきを行っている。誰もがご存じの通り、豆まきとは鬼を払うものである。つまり、年に一度浅草寺の鬼は払われているはず。
証券会社リーマン・ブラザーズの経営破綻後、アメリカのみならず世界中が不景気で覆われている。リストラや内定取り消しが相次ぎ、路頭に迷う人も少なくない。もしかすると浅草寺に現れたのは、迷える人たちの念が集まった、不景気ならぬ“不景鬼”だったのかもしれない。