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新重賞今昔物語 1999年フェブラリーS 地方馬として初めて中央の頂点を極めたメイセイオペラ

 1999年のフェブラリーSは、日本競馬の歴史に大きな楔(くさび)が打ち込まれたレースだった。
 岩手県、水沢競馬所属のメイセイオペラが、地方馬として初めて中央のGIを勝ったのだ。
 95年から始まった地方&中央の積極的な門戸開放、いわゆる交流元年。その流れに沿って、97年にGIへと格上げされたフェブラリーSにも地方馬が参戦していた。
 だが、結果は、3頭が出走した97年が16頭立ての14〜16着、98年が16頭立ての15着と散々。芝で通用しなくても走り慣れたダートなら…という地方関係者の思いを木っ端みじんに打ち砕くものだった。
 そんな空気の中、地方勢にとってメイセイオペラは、いわば最後の切り札だった。
 前年の秋、地元の岩手で行われた南部杯で当時の地方最強馬アブクマポーロ(3着)を撃破。従来のレコードを1秒1も短縮し、2着馬に3馬身差をつける圧勝だった。続く東京大賞典ではアブクマの2着に甘んじたが、フェブラリーSと同じマイル戦の南部杯で残した実績が大きな自信になっていた。

 1番人気は重賞2連勝中のワシントンカラー。メイセイは2番人気に支持された。
 地方ではめったにないハイペースだったが、楽々と5番手を追走。直線も追い出しをギリギリまで我慢する余裕を見せて、2着エムアイブランに2馬身差をつける完勝だった。冬の府中に突き上がった鞍上・菅原勲の右腕が、夢の大きさを物語っていた。
 鮮やかに統一ダート王に上り詰めたメイセイだが、そこまでの道のりは決して楽だったわけではない。
 94年の6月6日と遅生まれだったため、体が貧弱で、当時は関係者を落胆させた。しかし、1歳時に行った昼夜放牧でたくましい基礎体力を手に入れた。98年春には地方馬としては珍しく、坂路のある育成牧場に入り、弱かったトモを徹底的に鍛え上げた。そんな地道な努力が、秘めた素質を開花させた。
 歴史を変えた名馬の蹄跡は2004年、NHKの人気番組「プロジェクトX」でも取り上げられた。

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