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100回目の夏 ベスト8進出校の主力は越境入学者

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 夏の甲子園大会は3回戦を終え(8月17日)、ベスト8が出揃った。大阪桐蔭、浦和学院、報徳学園、済美、金足農、近江、日大三、下関国際。改めて大会公式パンフレットを見てみたが、8強ほとんどのベンチ入り選手に県外の球児がいた。「県内、学区だけでチームを構成してほしい」「他県の球児がいると応援できない」と話す高校野球ファンも多いが、有望球児の野球留学は永遠になくならないだろう。高校野球は郷土愛、郷愁の文化でもある。
「大阪府出身なのに東北高校に進んだダルビッシュ有、兵庫県から南北海道の駒大苫小牧高校を進んだ田中将大、彼の小・中学校時代の同級生だった読売ジャイアンツの坂本勇人も青森県の光星学院(現・八戸学院光星高等学校)に進みました。彼らは中学生の時点で『天才』であり、仮に地元の普通高校に進んでいたら、一年生から主力選手として活躍していたはず。でも、全国から精鋭が集まってくるハイレベルな強豪高校で鍛えられたから、今日があると言えます」(在京球団スカウト)

 だが、プロ野球に進むことだけが「成功」ではない。
 合宿所生活となれば、「自由」はないに等しい。それでも、越境入学をしてまで甲子園出場を目指す、あるいは、高いレベルでの野球技術を学びたいとし、彼らは覚悟を決めて親元を離れたのだ。強豪校と称される有名私立高校は野球部専用のグラウンドも持っている。また、専用グラウンドを持つ私立高校は住宅地から離れていたところにあるせいか、球児たちは「合宿所と教室、グラウンドを往復するだけ」となる。それでも甲子園大会に出場したい、高いレベルで野球をやりたいと本人が決めた以上、周囲が批評するものではないのかもしれない。

 今夏は100回目の記念大会ということで、高校野球に関する書籍や雑誌特集が例年以上に多かった。その関連で、昭和50年代に決勝マウンドに立った有名投手に取材を申し込んだときのことだ。
「あの人は、取材は受けてくれないよ。他の人を探したほうが…」
 そんなふうに話す取材仲間もいたが、どういうわけか、その有名投手は快諾してくれたのだ。
 理由は一時期、野球から離れていたせいもあるが、それだけではない。高校野球を終えたあとも周囲から「ひょっとして、甲子園で活躍した…」と聞かれるのもイヤで、「取材なんか、絶対に受けるもんか」と思っていたそうだ。考え方を変えたのは、ご子息が少年野球チームに入り、自身がサポートする側となり、高校時代は気付かなかった周囲の苦労が分かったからだと話していた。

「甲子園に出場した後、プライベートで出掛けても周囲の目が気になって、何をしても楽しくありませんでした。でも、自分が親になって、子どもの送り迎えやグラウンド整備のお手伝いをして、こういうふうに自分も支えていただいたんだと分かったんです」
 その元有名投手は地元組だが、同僚の大半は越境入学者だったそうだ。彼らといっしょになって、応援してくれる近隣住民や声援を否定するような言動もしていたという。その過ちに気付いたのは自分が親となってからだと話していた。
 100回目の記念大会に出場できた球児たちには、その喜びを知ってほしいものだ。(スポーツライター・美山和也)

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