「通報者」は、生活保護受給者への風当たり、学校のイジメ、不正受給、不倫、恐喝など様々なテーマを上手に収斂させた好脚本であった。通報者の少年・祐太(溝口琢矢)に自分を重ねて正面から向き合おうとする神戸尊(及川光博)には、亀山薫(寺脇康文)とは別のタイプの熱さがある。一方、杉下右京(水谷豊)は深い知識を駆使して外堀から真犯人に近付いていく。互いの特徴を補完して事件を解決する、文字通りの「相棒」となっている。
一方で右京は捜査令状もなしでターゲットの勤務先のロッカーを漁って証拠探しをするなど、相変わらず強引である。『相棒』ではかつて、令状なしで図書館の司書から閲覧者の個人情報を聞き出したことが不適切としてSeason3の第7話「夢を喰う女」が欠番になったこともある。右京は正義を貫く人間と描かれるが、自身の捜査は手段を選ばない。小野田公顕・官房室長(岸部一徳)の台詞「杉下の正義は時に暴走するよ」が深い意味を持つ。そして『劇場版II』の一つの見どころは、右京と小野田の価値観の対立である。
多くの映画化されたドラマの例に漏れず、『相棒』も劇場版の宣伝が露骨である。視聴者は映画を観る前に映画の多くのシーンを観てしまっている。それでも『劇場版II』の結末は衝撃であった。それはあまりに突発的な出来事であって、それまでの映画の筋からは予測できない展開であった。この衝撃的な結末を咀嚼するために映画のリピーターとなった観客もいるほどである。
強いて結末の意味を考えるならば、官僚と威張ったところでチンケな人間に過ぎないというところである。劇場版の宣伝文句には「相棒が国家に挑む」とある。確かに国家機関の陰謀が隠されているが、その国家機関を動かす存在も単なる人間である。「天下国家の計」を見据えたような大人物の凄みはない。つまらない恨みから犯罪に走り、それで運命を狂わされる人もいる。そこにノブレス・オブリージュとは乖離した日本のエスタブリッシュメントのリアリティがある。
過剰な宣伝をしつつも、結末で観客に衝撃を与えられたということは、宣伝の見せ方が巧妙だったということである。確かに予告映像には結末に関係するシーンも使われていた。それでも結末を観なければ想像できない内容であった。
ところが、最近の『相棒』の映画宣伝は、結末を強く暗示させる内容に変わってきている。劇場版の結末は番組レギュラーに関係する内容であり、そのレギュラーがドラマで言及されるならば、劇場版の結末を踏まえた内容になるはずである。劇場版は2010年夏の設定で、現在放送中のSeason9は劇場版の後になる。劇場版のその後がドラマで描かれるのか、『相棒』から目が離せない。
(林田力)