<開催日時>
3月1日 試合開始約20分前(17:40頃)
※時間は前後する可能性あり。
また、2月28日と3月1日の両日、『北海道日本ハムファイターズ誕生15thプロジェクト』の一環として、札幌ドームに台湾プロ野球球団のLamigoモンキーズを招き、国際交流試合『アジアフレンドシップシリーズ in 北海道』を開催。オフィシャルファンクラブ会員限定の来場者プレゼントや始球式を行う。
<来場者プレゼント>
オリジナルリングノート(A6サイズ)
2月28日 キャンプ表紙タイプ
3月1日 新入団選手表紙タイプ
※オフィシャルファンクラブ会員限定で、各日12,000名まで
<始球式>
・2月28日 Lamigoモンキーズ 劉保佑(リュウ・バオヨー)オーナー
※劉氏は2004年、Lamigoの前身球団であるLa Newベアーズのオーナーに就任し、2011年Lamigoモンキーズへのチーム名変更を経て現在に至る。地域密着を掲げた球団運営やファーム制度の確立などを手掛け台湾球界の発展に貢献している。
・3月1日 (株)ジーリーメディアグループ 代表取締役社長 吉田皓一氏
※吉田氏は台湾人向け日本情報サイト「樂吃購(ラーチーゴー)」などの事業を手がける(株)ジーリーメディアグループ創業者であり、現地では「台湾で最も有名な日本人」との呼び声も高い。
◆多田野数人(ただのかずひと)
1980年4月25日、東京都墨田区出身。投手。
八千代松陰高で1998年に甲子園に出場も、PL学園と対戦し敗退。高校卒業後は立教大に進学し、東京六大学野球リーグでは同じく松坂世代の和田毅(現ソフトバンク)らと投げ合って好成績を残し、日本代表にも選出されるなど将来が有望視される逸材と言われた。しかし、指名が確実視されていたNPBのドラフト会議で指名されず渡米。
クリーブランド・インディアンスのテストに合格しマイナー契約をする。2004年4月にメジャーに昇格すると、同年7月にはメジャー初勝利を挙げた。しかし、その後、戦力外通告を受け、再びマイナー契約などを続けながらメジャーへの再昇格を狙っていたが、2007年11月のNPBドラフト会議(大学・社会人)で日本ハムに1位指名を受けて入団。
ルーキーイヤーは怪我に悩まされたが、NPB初登板試合で初勝利を挙げる。2010年オフに戦力外通告。12球団合同トライアウトに参加し、日本ハムと異例の再契約を結ぶ。
2011年は11試合連続無失点を記録するなど、まずまずの活躍を見せて、2012年には先発で久々に勝利を挙げると、1年間ローテーションを守った。2014年10月に退団。自由契約となり、独立リーグの石川ミリオンスターズに投手兼任コーチとして入団。2017年12月に日本ハムのチーム統轄本部プロスカウトに就任することが発表された。
文・増田晋侍
カメラマン・舩橋諄