芸人のマルチタレント化によって、そんな声がますます聞かれるようになった。デビューから数年間はコンビ芸人で、解散してピンになると右肩上がり。テレビタレントとして大成功を収める例がかなり多い。
バカリズムはかなり特殊な例だ。デビューから一貫して、芸名が“バカリズム”。元相方の松下敏宏さんが芸人引退の姿勢を見せはじめたころから、升野英知(バカリズムの本名)はピンとしての下準備を開始。松下さんが辞めるときは、バカリズムから“脱退”という形を取った。それは、バカリズムの魂を升野1人が背負っていくというカッコいいものではなく、単純に、芸歴をそのまま足していきたかったからだ。
相方が抜けた翌06年、ピン芸人日本一を決める『R−1ぐらんぷり2006』で決勝戦に初進出。フリップネタの“トツギ〜ノ”で絶大なインパクトを残し、あれから10年以上が経った今なお、引く手あまただ。昨年は芸人、役者に加え、脚本家としても天賦の才を発揮している。
バカリズムと同じで、仕事が予想外の分野に拡充していったのは、宮川大輔だ。
04年、『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)への出演がきっかけとなり、全国区に出るチャンスを手にした宮川だが、91年のデビュー時は、星田英利(ほっしゃん。)と“チュパチャップス”というコンビを組んでいた。
のちに、同期のナインティナイン、雨上がり決死隊ら同世代の吉本芸人たちと、歌えて踊れておもろいアイドル芸人ユニット“吉本印天然素材”(呼称・天素)を結成している。
天素、チュパチャップス解散後は、舞台役者と芸人を続行。07年からレギュラー出演している『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)で、世界各国の珍祭りに参加する“お祭り男”として人気を博すと、「ワッショイ!」の合言葉で子ども人気が高まった。今では、日テレの日曜ゴールデンを支えるキーマンの1人だ。
同じく、在阪時代はアイドルユニットにも身を置いていたのは、小籔千豊。
吉本新喜劇の座長として今なお舞台に上がる一方、テレビコメンテーターとしても大忙しだが、93年のデビュー時は“ビリジアン”という漫才コンビだった。このころ、天素の弟分として誕生したのが“フルーツ大統領”という、吉本芸人6組が合体したユニット。ビリジアンのほかにCOWCOWも名を連ねたが、低空飛行のまま終幕した。
ほかにも、ケンドーコバヤシは、元ハリガネロック・ユウキロックと“松口VS小林”、村越周司と“モストデンジャラスコンビ”という2度のコンビ経験を経て、ピンに転向している。
ビビる大木は、“ビビる”というコンビ芸人から元相方の大内登が脱退した形で、名前を1人で受け継いでいる。
陣内智則は、「見ると不幸になる」といわれた“リミテッド”を解散して、ピンに転向。
さらにさかのぼれば、90年代前半には月亭方正が“TEAM-0”、80年代後半には今田耕司が“ダブルホルモンズ”を解散して、現在の道を歩んでいる。ちなみに、今田の元相方は、同期のほんこん。130R・板尾創路の今の相方だ。
ピンになって人生が180度変わったといえば大袈裟かもしれないが、みな間違いなく好転した例だといえるだろう。