その中でも注目なのが、1984年に行われた第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンで、グランプリを受賞した井森美幸である。大きな期待が掛かった井森は、85年4月21日に『瞳の誓い』でレコードデビューすることになった。同期には本田美奈子・中山美穂・芳本美代子・南野陽子・浅香唯などがいる。激戦となった新人賞の賞獲りレースだったが、井森は賞どころか存在感すら残せていない状態だった。とりあえず「まだ誰のものでもありません」というキャッチフレーズのインパクトがあったことで、独身の井森は今でもこれをネタにイジられることも多い。
アイドル激戦の年と言われていた時にデビューしたことで、トップクラスに突き抜けることは無かったが、当時は歌番組やアイドルイベントも多かったこともあり、そこに井森が出演する現場もたくさんあったので、現場で井森を見ることは珍しくなかった。
音楽祭などで遠目で観る機会は何度かあったが、実際に会ったのは86年の9月頃である。私はTBSの玄関前で、たくさんのアイドルが出演しているバラエティ番組の収録の出待ちをしていたのだが、その時に井森が出てきた。主目的では無かったが、とっさに近づいて声を掛けてみると、私に対して笑顔で回答。この時にサインを書いてくれて写真を撮らせてもらった。初対面でこれまでの印象と違い、優しく丁寧だったので、すごく好感が持てた。大ファンになることは無かったが、確実に私の中で「井森美幸」という存在はインプットされた。
そこから会う機会も無かったが、87年6月に私にとって大きな転機が訪れることになった。高校を卒業して間もなくの時期だが、この時にあるオーディションをキッカケに、私はホリプロで芸人活動をすることになったのだ。偶然にも井森と同じ事務所の人間になり、ホリプロ内で井森を見かけることも珍しいことではなかった。この頃の井森は、アイドル歌手活動からバラドルへとシフトチェンジしている時期だった。この年の10月からホリプロが制作する番組『やる気マンマン日曜日』(TBS系)がスタートし、井森はレギュラー出演で、私もあるコーナーで準レギュラーとして出演することになった。いわゆるバーターでの出演である。ここで井森との接点が出来たことで、収録の時には軽く話しをすることも多かった。私と井森は年齢も一緒だったこともあり、一方的だと思うが、気が合ったつもりでいた。
その後もバラエティ番組で共演することもあり、私が放送作家をしている時に、井森が出演している番組に関わることも多々あった。
2000年以前までは関わりが多かったが、おそらく15年以上は会っていない気がする。そんな井森も今年で48歳。現在もバラドルとして一線級の活躍を見せてくれている。同い年のタレントとしては嬉しい限りである。私も今の仕事を続けていれば、いつか会える機会があると思うけど、できるなら早く会ってみたい。まだ独身であり、アイドル当時のキャッチフレーズ通り『まだ誰のものでもありません』状態なので、独身の私が本気でプロポーズをしちゃうのもありかななんて考えてしまう。冗談はさて置き、今後もバラドルとして活躍し、いつまでも美しい井森でいてくれればと願っています。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。