大河内が、田中に「(新潟の)柏崎は『農村工業』の発祥地で、私の一番好きなところだ」と語ったように、グループの工場建設は柏崎を中心に、新潟各地へと広がっていた。ために、社長の田中自ら柏崎、小千谷などにも頻繁に出張した。これにより、新潟の地理、風土などの全体像が頭に叩き込まれたことで、のちに政治家となったときに、陳情の際の差配、選挙戦略の立て方などに大きく役立つことになるのである。
そうした一方で、田中のなかでは大河内の「柏崎は『農村工業』の発祥地」という言葉が耳から離れず、これがのちの「田中政治」の集大成たる「日本列島改造論」の、発想の源流ともなったのだった。
大河内の「農村工業」とは、どういう意味だったのか。一言で言えば、都市と地方の過密、過疎、そこから来る経済的格差の是正を目指すため、地方(農村)から都市への人口の流出を防がなくてはならない。そのために、働ける場として「工業」を地方に根付かせる必要があるというもので、まさに、後年の田中の日本列島改造論の中核を成した都市から地方への工場移転促進、工業再配置計画に合致するものだった。
この「農村工業」については元朝日新聞政治部記者の早野透が、その著書『田中角栄』(中公新書)で紹介している。早野は若い頃、朝日新聞新潟支局に赴任した際、田中の政治風土を調べるために、図書館で昭和初年に発行された「越佐社会事業」誌を読んだのだが、その中に大河内が寄稿した「多望な農村工業の前途」とする一文を発見した。
ちなみに、「越佐」とは越後と佐渡を意味し、新潟全体を指すものである。その早野の著書から要約引用させてもらうと、大河内は次のような「農村工業」論を展開している。
「東京近郊の農村では、娘がほとんど東京に出てしまうために、農村に残った青年は妻をめとるのに困難を感ずる。もし、都会に集まる子女が村に踏みとどまって十分に働き得るようであったならば、人口の不自然な移動を防止することができる。
一方、海外移民の道もあるが、いかに立派な移民政策を行ったところで、それのみによって100万人の増加人口を処理し得ないことは明白である。この人口増加を、もっと弊害の少ないように活用していかんとするところに、農村工業の重大なる社会的意義が存するのである。
筆者(注・大河内自身のこと)はいま、一昨々年8月から、自動車の部品のごく簡単なものを越後柏崎で造っている。若い農村の女子ばかり400人ほどを集め、鉄を溶かして鋳物とし、それを削って仕上げるまで、全部すべてをやらせている。その結果は、自動機械で造るよりも、精密なものがはるか余計にできる。また、女子たちの働きぶりをみると、想像の及ばないくらい上手である」
そのうえで、柏崎の理研のピストンリングの工場は、陸海軍の飛行機エンジンの主要部品として大増産するため、なんと従業員は1万人を数えたのだった。
★「理研関連票」での初当選
そうした大河内の「農村工業」に強い影響を受けた田中が、初めて総選挙に立候補したのは、昭和21(1946)年4月の戦後第1回目のそれであった。このときはしかし、「カネがある候補」ということで、選挙関係者からさんざん食い物にされたことも手伝い落選した。
それからちょうど1年後の昭和22年4月、「2・1ゼネスト」を機に戦後第2回目の総選挙があった。田中は前回の選挙に懲り、当時の「田中土建工業」の出張所を柏崎と長岡に設置、地元から100人近い社員を採用して、“直営選挙”に戦法を切り替えたのだった。
また、一方で大河内の了解を得て、のちに田中とは「盟友」関係になる当時の理研の柏崎工場長である星野一也の全面的な協力のもと、選挙区〈新潟3区〉内の理研グループ関連会社の従業員プラスその家族約3万人の支援を受け、ここに初当選を飾ることができた。得票数は3万9043票だったが、じつにその4分の3が「理研関連票」だったことが分かる。
その田中は、初当選の翌年、1年生議員にして法務政務次官に就任するが「炭管汚職事件」で逮捕された。一審は有罪だったが二審で無罪を勝ち取った昭和27年、大河内は田中の無罪を喜びながら74歳で人生の幕を閉じたのだった。
生涯、この大河内を含め「私の3人の先生」と口にしていた田中。人間は真に敬愛、尊敬できる人物を持つと、人生を裏切れなくなるものである。田中もまた、政治家として金脈問題、ロッキード事件で疑惑を受けたが、時に顔を紅潮させ、いずれも真っ向うからこれを否定したものだった。
それはせめて、「先生」を裏切ることは万死に値するの、必死の抵抗だったようにも見えるのである。
_(本文中敬称略)
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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。