同作は「幕末」とタイトルにあるように、日本の幕末から明治になるまでを扱った作品だ。しかし、他の作品とは大きく違うオリジナルの要素がある、それが“新撰組の沖田総司は女だった”という設定だ。
アニメやゲーム、さらにはドラマなどでも、歴史上の人物がことごとく女性化される現在では、この設定は珍しくもなんともないが、当時はこの設定だけで奇想天外なストーリーだった。沖田総司は当時19歳だった牧瀬里穂が演じている。コメディー要素が強い作品にはなっているが、新撰組を題材として扱っているため、ラストは悲劇的な展開となっている。
この作品だが、元々新撰組ファン、維新志士ファンは歴史上のエピソードなど、もろもろを忘れた状態で視聴することをオススメする。なぜなら、他の創作物での人物像はおろか、歴史上の展開もほぼ無視の作品となっており、幕末ファンであればあるほど、イライラすること必至だからだ。
史実を元にして、ぶっ飛んだファンタジー作品を作る際、多くの作品では元ネタの人物のエピソードなどを誇張した状態で登場させる。例えば、『戦国BASARA』などでは、本多忠勝が戦場で一度も負傷したことがないエピソードを元にスーパーロボット化するとか、松永久秀が何度も主君を裏切り、最後は爆死したと伝えられていることを元に、狡猾な爆弾魔にするとかだ。こういった誇張が、「この作品ではこうなの!」という強引な説得力となり、元ネタが好きな人でも笑って許せる要素になっているが、この作品では笑って許せない要素が多い。誇張どころか、女性設定の沖田を除き、歴史上の人物を元ネタにしている意味が全く感じられない。なんか登場人物が全般的に、小物っぽい臭いしかしない。
桂小五郎(柄本明)がただの変態オヤジだったり、西郷隆盛(桜金造)が小物臭のするしょうもないことを言う役どころだったり、岩倉具視(津川雅彦)の顔の白塗りが強烈すぎたり、史実ではこの時代前に死んでいるはずの岡田以蔵(木村一八)を、わざわざ出しているのに、その必要性が全くないなどなど、色々残念要素が強い。まあ、敵側だからしょうがないだろうという意見もあるかもしれないが、新選組側もなかなか酷い。沖田を除けば主要なキャラなんて土方歳三(杉本哲太)と近藤勇(伊武雅刀)くらいしかいないという惨状だ。そして、土方のコメディーに寄せたいのかシリアス部分を背負わせたいのか、どっちつかずキャラには、かなりイライラさせられることだろう。
本作では、原作でのこじれた沖田の出自や恋愛関係を簡潔化して、土方や坂本龍馬との三角関係を中心に描いている。だが、簡潔になった影響で、恋愛要素も薄い状況になっており、これがまた、ストーリーの展開を退屈なものとしている。純情というより安っぽい。唯一いいと思える部分は龍馬役の渡辺謙が、当時、急性骨髄性白血病治療後の復帰第一作目にも関わらず、闘病生活を感じないほど強烈なキャラに仕上がっていることか。それでも後半の脚本の都合上のヘタレぶりには、やっぱりイラっとくること間違いなしだ。
歴史上の人物を、そのキャラ設定で使う必要性を殆ど感じないのに、所々で史実にそったエピソードも絡めるため、その名前を意識させざるをえず、それが強烈な違和感となっている。正直、大政奉還とかその後の話をやらなくていいから、沖田、土方、龍馬の主要3人以外をオリジナルキャラクターにするくらいの決断が欲しかった。その方が、展開をスムーズに受け入れられたかもしれない。とはいっても肝心の脚本が面白くない展開を提供しすぎだが。
実はこの作品、殺陣などは結構いい部分が多い。沖田が人ごと家屋の格子を斜めに切り裂くところなどかなり印象的なカットとなっている。他にも、序盤でこの世界の池田屋と思われる船上料亭を襲撃するシーンなども、遠くの方のエキストラもちゃんとチャンバラをしているなど、見どころは多い。コメディーシーンも特に、近藤と松平容保(榎木孝明)のやり取りなどは、笑いどころとなるだろう。上司からは新選組の無茶苦茶な行動が非難され、部下からは突き上げをくらう、悩める中間管理職ポジションの近藤がかなりいい味を出している。
そういった部分ではかなりこだわっているのに、肝心のストーリーが微妙すぎる。あって無いような時代考察なんだから、そのまま勢いだけで「こういう作品だから!」と突っ切らないとダメだろう。この辺りが舞台と映画のメディアの違いなんだろう、変に真面目になった部分が足を引っ張りまくっている。
(斎藤雅道=毎週土曜日に掲載)