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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(73)

 早川電機工業の近くにライト・ハウスという社会福祉の事業館があった。
 創設者は岩橋武夫。早稲田在学中に失明し、英国エジンバラ大学に留学。帰国後は関西学院などで教えていたが、やがて大阪盲人協会を起こし、昭和10(1935)年、世界で13番目のライト・ハウスを建設する。ライト・ハウスでは点字図書館、点字出版、盲人の更生・援護相談所などの事業をおこなっていた。
 戦火の厳しくなったある日、岩橋から徳次に、失明者のために何か電気について講演してほしいという依頼があった。
 戦地で失明した軍人達も数を増して来ていた時期だ。徳次は笹尾ほか研究部の者を連れ、2日間の講演をおこなった。受講者は戦時下で途中失明した人達で、生きていくために徳次の話に耳を傾け、笹尾の実習を受けた。

 講演から数日して、岩崎から改めて相談があった。ライト・ハウスの礼拝堂を改造して失明軍人の職場にしたいが、機械・器具、作業、技術指導まで奉仕してもらえないだろうかという内容だった。徳次は快諾した。盲目の井上さんの手のひらの温もりを思い出していた。
 恩に報いる好機だと思った。早速、礼拝堂に二十数台の機械を入れ、失明軍人会館と改めた。そしてこれを無線機の部品の一部を作製する早川の分工場とした。
 会社から技術指導者が出張し、作業を文字通り手を取って教えた。この分工場は後年、昭和25(1950)年、会社が経営危機に陥った際に身体障害者専用の工場、合資会社早川特選金属工場として分離独立させた。
 昭和20(1945)年8月15日、終戦を迎える。その日、徳次もラジオから流れる玉音放送に耳を傾けた。
 終戦の1週間後、徳次は故障ラジオの無料修理を実行した。新聞紙上に故障したラジオを無料で修理すると発表した。会社には連日、ラジオを抱えた人が押し寄せ、人の群れは20日ほど続いた。このアイデアは材料不要で持てる技術を即活用できるというところから出てきたものだ。

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