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本誌しか書けない秘話! 高倉健vs菅原文太 実録ヤクザ伝(1)

 日本映画全盛期、時代劇王国と謳われ破竹の勢いだった東映映画に陰りが見えた頃、ヤクザ映画が台頭した。『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『網走番外地』…高倉健が主演した映画はどれも大ヒット、シリーズ化されて劇場を満員にした。
 目当ては、白刃を手に最後に斬り込む健さんの姿。
 「樺島の親分さん。死んで貰います」
 「死んでもらいましょう」
 堅気の衆や兄弟分に迷惑がいくと、悪辣非道な振る舞いに耐えに耐えてきた健さんが、遂に堪忍袋の緒を切って、たった一人で悪を叩き斬る。その場面になると、満員の深夜興行などで観客からの声が掛かった。
 「いいぞ! 健さん」
 「いけ! やっちまえ!」
 「異議なし!」
 時代は高度経済成長の最中。会社帰りに一杯引っ掛け劇場に飛び込んだ客、そして青春の巷で悩み彷徨する学生運動の左翼学生らは、ここぞとばかりに銀幕の健さんに声援を送った。昭和40年代前半、まさに映画と観客が一体になる瞬間だった。

 東映任侠路線の発端は、昭和38年、東宝から移籍した鶴田浩二と新進気鋭の高倉健の顔合わせで作られた『人生劇場・飛車角』が当ってからだ。
 ここぞとばかりに日本映画の父・マキノ省三を父に持つマキノ雅弘監督が、『日本侠客伝』を手がける。東京・深川木場を舞台に新旧の対立、抗争。最後には健さんがドスを抜き殴りこむ。いわば任侠映画の核となったこのシリーズ、マキノ監督が子供の頃から慣れ親しんだ京都の千本組など実在の人物たちが形を変え、物語が構成されたという。本物の迫力があったのはそのためだった。

 「義理と人情、秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界…」
 御存知の主題歌や唐獅子牡丹の刺青、着流しスタイル、名台詞など様式美に徹して作られた『昭和残侠伝』。そして、ギャング映画など現代アクションも得意とした健さんの魅力を最大限に引き出した『網走番外地』は、全18作に及ぶ長期シリーズとなった。
 「俳優として文化勲章の受章という栄誉にまで輝いた高倉健だが、その足跡は平坦なものではない。福岡県中間市の生まれで八幡市で育ち、東筑高校(北九州の名門進学校)時代はボクシング部を創設する一方、外国への憧れから密航を企てるが、失敗するなどヤンチャな性格だった。明治大学商学部に進学、合気道クラブに籍を置きながら連日の女郎屋通い。その野放図さからか卒業後就職に失敗、学生時代の恋人との結婚も親に反対されたそうです」(ベテラン映画記者)

 家業の採石業を嫌い、再び上京。マネジャー見習いの仕事があると聞いて、当時美空ひばりらが所属していた福島通人の新芸プロに面接に行った。ところが、逆にその場で後の東映の専務・マキノ光雄にスカウトされ東映第二期のニューフェースに編入。すぐに空手映画『電光空手打ち』の主演に抜擢されデビューする。
 東映映画の任侠路線転換は、お竜こと藤純子(冨司純子)の父としても知られる俊藤浩滋プロデューサーと後の東映社長で当時の京都撮影所所長・岡田茂の舵取りが大きい。2人は次々と任侠映画の新機軸を打ち出し、2人に目をかけられた健さんはスター街道を突っ走った。

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