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遠い記憶 目黒競馬場の歴史6(最終回)

 1932(昭和7)年に、東京市はニューヨークに次ぐ世界第2位の大都市となった、いわゆる「大東京市」の成立である。目黒区域の人口は1930(大正5)年と比較すると、目黒町で3.7倍と、周辺部では最大の増加率を示した。
 このとき目黒町と碑文谷町が合併して目黒区が誕生した。目黒競馬場の近くにも住宅が増え、このころから競馬場の馬や厩舎の臭い、騒音に対する新住民の苦情が多く届くようになった。また近隣の宅地化に伴い、競馬場の地代も急上昇したため、競馬場の移転問題が実現化してきた。
 こうして1933(昭和8)年4月23日、「第2回東京優駿大競走」(優勝馬カブトヤマ号)が開催された目黒競馬場は、4月30日のレースを最後に、25年間の歴史にピリオドを打ち、府中(現東京競馬場)に移転することになった。なお、府中競馬場は同年11月に開設されている。

 現在の目黒通りに沿って建つ多摩大学目黒中・高校から脇道を南側の住宅地に入ると、左斜め前方から曲線を描いた小道が接近してくる。その小道は右方向に緩やかなカーブを描いて伸びている。それが、コーナーから観覧スタンド前に続く目黒競馬場のコースの跡地である。
 そういう跡地を眺めていると、“古(いにしえ)”の記憶が蘇るのか、当時の競走馬の駆け抜けていく音が、いかにも聞こえてきそうで感傷的になる。
 目黒区保健所によると、この界隈は「競馬場の跡なので、今でも破傷風菌が多い」という。一見何気ない住宅地に今も残るコース跡と破傷風菌は、競馬場跡の歴史の生き証人であり、都市化していった東京市近郊農村の変貌を物語っている。 =最終回=

※参考文献=目黒区50年史/月刊めぐろ(80年5月号)/みどりの散歩道

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