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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元小結・智乃花伸哉さん

 「センセイ」の愛称で親しまれ技能相撲で魅了した元小結・智乃花伸哉。現在は年寄り・玉垣を襲名し、友綱部屋で後進の指導にあたっている。

 まったく異色づくしの大相撲力士だった。175センチ115キロと力士としては小柄な体格ながら、安定した教職の座を投げ打って27歳で角界入門した。しかも妻子持ちだったこともあってマスコミでもこぞって特集が組まれるなど日本中の注目を浴びた。もともと、法政大学相撲部出身だった叔父の影響で相撲を始めた智乃花は、日本大学時代には主将も務め数々の大会で活躍し、卒業後も山口県で教諭を務めながらアマチュア横綱のタイトルも獲得するなど、実力はあった。その頃、大相撲も若貴ブームで黄金期を迎えており、日大の後輩・舞の海の活躍も大きく報道されていた。まさにその勇士に刺激され、念願だった大相撲への入門を決意したという。
 「とはいえ、智乃花には奥さんと当時2歳の息子さんがいました。でも、日大時代から付き合ってきた奥さんは特に反対もせずに智乃花の意思を尊重したといいます。当時は智乃花の活躍ばかりが報道されていましたが本当に、この奥さんなくして彼の活躍はなかったと思います。大相撲入門時の月給は6万円。健康保険の切り替えも済んでおらず、当時、息子さんの通院にも困ったのですが、奥さんは智乃花には一切の心配をかけず、相撲に専念させてあげたのです」(夫妻の知人)
 智乃花は歴代最高齢の27歳で初土俵を踏み、周囲の心配をよそに、スピード出世する。入門から4場所目で幕下優勝し、十両に昇進。9場所目で幕内に上がり、11場所連続勝ち越しし、12場所目で新小結に昇進した。1場所で平幕に陥落したものの舞の海と並ぶ小兵の技能力士として世間の注目を集めた。ちなみに決まり手は34種で技のデパート・舞の海(33種)よりも多かった。

 01年9月場所で5勝10敗と負け越し幕下陥落となり、37歳で現役引退した。その後は準年寄・智乃花から年寄・浅香山を襲名し立浪部屋で指導を続け、06年には玉垣を襲名。指導方針の違いで立浪部屋から同門の友綱部屋に移った。春場所からは審判長も務め審判デビューをしたが、長い相撲の取り直しを休憩なしで取らせてしまうという規則の運用ミスをしてしまった。そこは素直に反省し謝罪した「センセイ」だった。余談だが、かつて教諭を務めていた山口・大津高校の卒業生にはあの金子みすゞがいる。代表作『わたしと小鳥とすずと』の「みんなちがって、みんないい」の詩が智乃花の人生とも被る気がする。

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