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球界因縁のライバル(17) 大沢VS広岡

 「喝」「アッパレ」。毎週日曜朝のテレビ番組で張本勲氏と共にスポーツ界を一刀両断する、親分こと大沢啓二氏。球界のご意見番としてお茶の間にすっかり定着しているが、同じ1932年生まれの広岡達朗氏とは因縁のライバル関係にある。同時期に大沢氏は元祖・球界大親分の鶴岡一人監督が率いる黄金期の南海ホークス、広岡氏の方は水原茂、川上哲治両監督と、これまた大監督の下の名門巨人軍でプレーしている。

 が、2人がファンを沸かせたのは、大沢氏が日本ハム監督、広岡氏が西武の監督に就任してからだ。大沢監督の「草ばっかり食ってヤギさんじゃあるめえし」という、ヤギさん発言が因縁対決に発展していったのだ。82年に西武監督に就任した広岡氏は4年間でリーグ優勝3回、日本一2回という実績を残している。その前にはヤクルトでも78年に日本一監督になっている。広岡野球は私生活まで徹底してチェックする超管理野球で、「アルコール厳禁。飲むなら豆乳。肉を食べるよりも野菜を採れ」と食事面までコントロールしていた。現在は試合前にはサンドイッチやウドンなどの消化の良い軽食は常識になっているが、当時は験を担いで「カツ丼」などヘビーな食事は当たり前だった。広岡管理野球はそうした前近代的な食事面まで踏み込み、選手の反発にも涼しい顔で健康管理まで厳しくコントロールした。

 そんな広岡流に噛みついたのが大沢監督だった。日本ハムのハムという意味から背番号『86』を付けた、親会社思いの? 大沢監督とすれば、営業妨害の「肉よりも野菜」という広岡発言は無視できなかったのだ。
 広岡西武誕生1年前の81年には日本ハムになってから初のリーグ優勝を果たし、敗れたものの話題となった巨人との史上初の後楽園球場シリーズを戦ったばかりだけに、大沢親分の鼻息も荒かった。結果的には、ヤギさんチームの方が強かったのだが、広岡監督にも大きな声で言えない楽屋裏話がある。
 痛風で戦線離脱したことがあるのだ。「痛風という病気は、肉を食べ、酒を飲むからなるんじゃなかったっけ?」。西武ナインは「他人に厳しく、己に甘い」広岡管理野球を陰で揶揄したものだ。
 痛風話はさておくとして、ヤギさん論争に勝利した広岡管理野球は森祇晶監督に引き継がれ、日本球界に一時代を画し、ユニホームを脱いだ後も、広岡氏は球界ご意見番としての地位を確立した。95年にはロッテのゼネラルマネージャーに就任している。この時にメジャー監督経験者のバレンタイン監督を招へいして、チームを2位に引き上げたが、メジャー流練習を巡り、広岡GMとバレンタイン監督は正面衝突。ケンカ両成敗で2人ともにロッテを去ることになった。
 「ヒロさんはこと野球に関しては正しい指導をするが『オレが、オレが』が強すぎるから、最後は誰とでもケンカ別れになる」と巨人OBが苦笑するが、その通りの野球人生を送っている。
 「ベンチがアホやから」発言で有名な、反骨が売り物の江本孟紀氏が「名球会に対抗して無名会、1年でもプロ野球界で飯を食べたOBなら入れるOBクラブを作ろう」と立ち上げた日本プロ野球OBクラブ(社団法人・全国野球振興会)の会長に就任したこともあるが、長続きしない。
 奇しくも現在、このポストに就いているのが大沢氏だ。広岡氏に試合で負けても野球人生の勝負で勝っているというべきか。「球界ご意見番」「日本プロ野球OBクラブ会長」という立場を、広岡氏からバトンタッチされた格好になっているのだから。

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