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遠い記憶 根岸競馬場の歴史(34)

 先週に続き、根岸競馬場と当時の競馬事情を知る関係者の座談会をお届けする。

 K(元騎手) その当時のスターターはアブカーさん。あの当時、ダットサンに乗ってきましたね。で、スタートの名手といったら、中村一雄さん。テープをパッと切ったスタートがうまくてね。だいたいハナを切っていた。

 B(元騎手) うん、あぶみを短くして。名ジョッキーだったな。僕と同じ歳なんだけどね。

 N(元騎手) 権威があったね。文句いえないんだから…。

 S(元騎手) アブカーさんは何年ぐらいまでやっていたのかな?

 K 昭和12、3年までじゃあないか。倶楽部がなくなって、競馬会になってからもまだやってたように思う。戦争になってからは、もういなかったはずだ。

 N 終戦になってからだが、アブカーさんは海岸通りの日本郵船ビル内にあった進駐軍の労務の仕事をやっていたよ。

 W(元理事) 横浜の重要レースといえば、横浜特別、帝室御賞典、現在の皐月賞にあたる農林賞典4歳呼馬(よびうま)競走といったほかに、オール・カマー・ハンデというのがあった。これが非常に面白かったな。

 N 古呼(ふるよび)のオール・カマーのほかに、ハンデ戦はニッポン・ハンデというのがあった。これは横浜だけのものだった。

 W ハンデキャップだから、これが非常に人気を呼んだんだよ。

 N オール・カマーってのは、何でもこいだからね。ニッポン・ハンデなんかも古抽(こちゅう=サラ抽せん馬の古馬のこと)だが、横浜の名物だった。強い馬がいたもんね。ヨコヅナだとかクラックスマートなんていう…。タツクモはアラブだった。

 N そういえば横浜特別は、2マイルでぐるぐる2周まわるんだったなぁ…。

 ※参考文献…根岸の森の物語(抜粋)/日本レースクラブ五十年史/日本の競馬

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