KinKiは昨年、デビュー25周年だった。さらに、剛がシンガーソングライターとなった20周年でもあり、ダブルアニバーサリーだった。小6でジャニーズに入所した剛も40歳を超え、KinKiは楽曲をリリースしているジャニーズミュージシャン最長となった。
ゆえの疲弊も多かった。6年前には、左耳突発性難聴を発症して活動を休止。10代の時は、あまりの忙しさで過呼吸に。そして、パニック障害と診断されたこともある。そんな剛に音楽という逃げ場を与えたのがジャニー氏。作詞・作曲する楽しさを学んだ剛は23歳の時、ソロシングル「街」をリリース。奈良の地元から上京した時の心の葛藤を正直に詞にした。怒ったのはメリー氏だ。
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「『なんでこんな男っぽい曲を書いてんのよ。あなたはもっと女性に対してキラキラした自分を見せないといけないじゃない』と口調を荒げたのです。しかし、その数年後には理解者になりました。『あなたは今まで私が言ってきたことを、何も気にしなくていいわよ。この人みたいになるのよ』と言って渡したのは、ビョークのアルバムでした」(アイドル雑誌の古参記者)
メリー氏は剛に、アイドルや日本という既成概念を払拭してほしいと望んだ。そして、あるDVDボックスを贈った。伝説の喜劇役者・藤山寛美氏(享年60)のステージだった。昭和を代表する天才役者であった一方、型破りな金銭感覚に莫大な負債額など何かと世間を騒がせた藤山氏。藤山直美の実父。昨年33回忌だった。
「10代の頃、剛さんはジャニーさんから『YOUはなんでそんなにしゃべらないの? 関西人なのに』としょっちゅう言われていました。だから、漫才や芸人さんの番組を数多く見て学びました。そのベースにあったのが、メリーさんからもらった喜劇のDVDだったのです」(先の古参記者)
ジャニー氏が晩年まで、コンサート会場に足を運んだ唯一のアーティストがKinKiだった。30代になった頃の剛と堂本光一には、10代のような口下手で消極的な姿はみじんもなかった。ジャニー氏は言った。「YOUたち(トークが)長いよ」。
剛は、ジャニー&メリーの最強布陣によって不得意分野を完全に克服した。
(伊藤由華)