新日本によると、「このたびのアントニオ猪木さんのご訃報に接し、改めまして心から哀悼の意を表します」とした上で、「新日本プロレスでは、今年旗揚げ50周年を迎えるにあたり、創設者であるアントニオ猪木さんに弊社の終身名誉会長職を内々に打診しており、快諾をいただき、去る9月1日から、終身名誉会長に就任していただいておりました」と経緯を説明。
ファンへの発表が遅れたことに関しては「この件に関しましては、10月10日(月・祝)両国国技館大会にて、ファンの皆様へご報告させて頂く予定でした」とサプライズ発表する予定だったようで、「このような形でのお知らせになってしまったことは、誠に残念ではありますが、新日本プロレスではアントニオ猪木さんの遺志を受け継いで、さらにプロレス界の発展に努めてまいります」と猪木イズムの継承を団体として明らかにしている。
猪木さんは日本プロレス幹部との軋轢から追放されたため、1972年1月に新日本プロレスを故・山本小鉄さん、木戸修氏、藤波辰巳(現・辰爾)らと設立。同年3月6日に東京・大田区体育館大会で旗揚げ。まだテレビ局も付かない厳しい船出だったが、翌年に日本プロレスから坂口征二(現・相談役)が加入したことで、毎週金曜夜8時に放送していたNETテレビ(現・テレビ朝日)の『ワールドプロレスリング』が日本プロレスの中継から、新日本の中継に切り替えたことから、ブームが到来。猪木さんはアイデアマンとして、異種格闘技戦路線やタイガーマスクの華々しいデビュー、自らがライバルとして作り上げた外国人レスラーたちも世界に羽ばたく存在となり、真のトップレスラーとして団体の繁栄に貢献した。
1998年4月4日の東京ドーム大会で引退後も、オーナー権限として、新日本の現場に口を出しつつ、自身はPRIDEなど総合格闘技の大会に協力したり、プロデュースするなど、これが新日本の分裂を生んだこともあった。しかし、2005年にゲーム制作会社ユークスに自身が保有していた新日本の株を売却してからは、新日本と疎遠状態に。だが、2020年1月に獣神サンダー・ライガーの引退セレモニーにビデオメッセージを寄せたり、雑誌の企画で新日本の選手と対談をするなど、雪解けムードにあった。今年の1.4東京ドーム大会のオープニングムービーにも登場している。
新日本では今年が節目の50周年イヤーなだけに、猪木さんをリングに上げる準備を進めていたが、叶わなかった。
(どら増田)