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今年の同企画のテーマは「越境」。国境に限らず、様々な「境(ボーダー)」を越えること、越えていくことを含め、映画にまつわる思いや考えを存分に語り合った。この日は、永瀬とフィリピンの映画監督ブリランテ・メンドーサ氏がオンラインで対談し、モデレーターを東京国際映画祭シニア・プログラマーで日本映画大学教授の石坂健治氏が務めた。
メンドーサ監督は、2005年に監督第一作『マニラ・デイドリーム』でロカルノ国際映画祭ビデオ部門金豹賞を受賞。その後も『どん底』でベルリン国際映画祭カリガリ賞、『キナタイ マニラ・アンダーグラウンド』でカンヌ国際映画祭監督賞、『汝が子宮』でヴェネチア国際映画祭ナヴィチェッラ・ヴェネチア映画賞、『ローサは密告された』はカンヌ国際映画祭最優秀女優賞を受賞するなど、海外での受領歴も多い。近年ではフランスの芸術文化勲章シュヴァリエを受章、また、自身が主催する映画祭を立ち上げ、若手への技術指導といった活動も積極的に行っている。日本とフィリピンの合作映画『GENSAN PUNCH 義足のボクサー(仮)』も同映画祭で上映された。
永瀬は、国内での活躍はもちろん、海外の作品への出演も多く、2015年『あん』、2016年『パターソン』、2017年『光』でカンヌ国際映画祭に3年連続で公式選出された初のアジア人俳優となった。1990年代には、シンガポール、タイ、マレーシア、台湾、香港、日本の監督たちとタッグを組んだ合作映画『アジアンビート』シリーズに出演した。1年半かけ、単身で各国を巡った経験について永瀬は「すごいパワーをいっぱいもらえた企画でした。ただ疲れましたが(笑)」と振り返った。加えて、「またアジアの人たちが手をとりあって、ニュー・アジアンビートみたいなシリーズができたらいいなというのは、ずっと思っていますね」という構想も明かした。
約30年前の活動で得た海外の人脈が今も財産となっているという永瀬。コロナ禍となり、海外からもメッセージをもらって励まし合ったという。自身も「今やらなければいけない」と、様々な人に連絡を取るようにしていたという。コロナ禍で撮影が中止となっていた際、多くの映画を自宅で鑑賞していたという永瀬。「メンドーサ監督作と出会ったときコロナ禍で1人ぼっちで…うちには猫がいるので2人ぼっちだったんですけど、救ってもらったんですね。監督の作品がちゃんとそのキャラクター、状況に置かれた人たちに寄り添っているから、国が違っても僕が受け取ったんだと思うんです」と、メンドーサ監督の『ローサは密告された』を鑑賞した際の経験も語り、映画が人々に与える影響を訴えた。
メンドーサ監督は、コロナ禍で近しい人たちが影響を受ける中で、自身の死生観にまで影響があったと語った。「この状況だからこそやるべきことをやるという、使命感にかられました。私が一番得意なことをやる、(コロナは)私の意志をくじくのではなく、逆にエネルギーを与えられました。寂しく死にたくない、死ぬのであれば幸せな人間として死にたい。どうやったら幸せになれるか、映画を作ることが私に幸せをもたらしますので、モチベーションとなりました」と、コロナ禍において改めて向き合った映画への想いを力強く語った。
トークの様子は、東京国際映画祭の公式YouTubeチャンネルにて、19日午後6時までの期間限定見逃し配信中。