実は海老蔵、2017年の同企画でリレー方式のアンカー最有力候補として複数のメディアに報じられた経緯がある。同年7月、海老蔵は自身のブログに「スケジュールは空いてる」とまんざらでもない様子を見せていたが、ランナーになることはなかった。海老蔵は、同年6月に最愛の妻・小林麻央さんを亡くしていた。
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今となっては、2児の子育てと役者の“二刀流”で日々奮闘する“シンパパ”のイメージが強いが、かつては歌舞伎界の“プレイボーイ”として名をはせていた。なかでも、結婚目前ともいわれた女優・米倉涼子との熱愛は印象深い。
「2人は2003年のNHK大河ドラマ『武蔵』での共演がきっかけで熱愛に発展。将来を見据えた真剣交際で、やがて“結婚秒読み”とまでささやかれました。当時の海老蔵の芸名は新之助、五代目・尾上菊之助、四代目・尾上松緑とともに『平成の三之助』と呼ばれ、新たな歌舞伎ブームを起こしたのです。ところが2003年2月、海老蔵(当時25歳)は元モデルとの間に隠し子が発覚。同時期、イベントに参加していた米倉(当時27歳)は報道陣の問いに『報道が出てすごく残念』とコメントするも、去り際に『あーっ』と声を張り上げ、あからさまにいら立ちを見せたのです。しかしその後、2004年8月には一部のスポーツ紙が2人の極秘海外旅行を報じ、ビッグカップルの行く末に注目が集まりました」(芸能ライター)
ところが、2005年春頃に2人は破局。一部報道によれば、芸能活動を継続する意思を崩さない米倉に対し、“梨園の妻”にはふさわしくないと海老蔵サイドが猛反対したという。さらには、当時の市川家には祖父の残した19億円もの借金により、その返済のためにも周囲が海老蔵の結婚相手として資産家令嬢を望んでいたとも伝えられた。
だが2007年3月、海老蔵のフランス・パリでのオペラ座公演を米倉が母親と観劇したことで復縁説が浮上するも、米倉はこれを否定している。
「2人の結婚に逆風が吹く中、團十郎さんだけは『息子が望む女性なら』と米倉を擁護していたといいます。米倉が團十郎さんの歌舞伎を観劇した際には“将来の嫁”を気にかけ、楽屋に呼び入れたことも。その親交もあってか、2013年2月の團十郎さんの葬儀にも米倉は参列していて、号泣する姿が2013年3月発売の『女性セブン』(小学館)に報じられていました」(前出・同)
海老蔵は、2010年3月に麻央さんと結婚。2013年3月に配信された『東スポWeb』によれば、麻央さんとの結婚を米倉に報告した海老蔵は「お先!」といい、米倉は「余計なお世話だし!」とやりとりしていたことを報じている。また2014年12月には、米倉の結婚報道を受け、海老蔵が自身のブログで米倉を祝福、後腐れのなさをうかがわせた。
2017年6月、麻央さんは乳がん闘病の末、死去。海老蔵は残された2人の子どもたちの子育てに奔走した。一方の米倉だが、2015年3月に別居が報じられ、2016年12月に離婚。互いが独身に舞い戻った2018年10月、一部メディアは2人が東京・渋谷区内の同じマンションに住んでいると伝え、復縁説が浮上。だが、復縁の兆しはなく“ガセ”だったとみられる。
2020年10月、海老蔵は自身のYouTubeチャンネルに「【恋愛はするの?】難しい質問。でもやっぱり…」と題した動画を投稿。恋愛にまつわるトークを展開し、海老蔵の新たな恋に賛否両論が集まった。子育てで精いっぱいの海老蔵にとって、“恋愛”はほど遠いかもしれない。
記事内の引用について
市川海老蔵公式ブログより https://ameblo.jp/ebizo-ichikawa/