竹中も、1985年発売のオリジナルビデオ「竹中直人の放送禁止テレビ」内で障がい者を揶揄するような場面があったとして、自ら辞退を申し入れたとされる。いわば、炎上を前に自ら火消しに走った形だ。
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こうした不謹慎系のネタで批判を受けた芸人は、以前から存在する。
今やすっかりワイドショーのコメンテーターとしての顔を持つようになった、落語家の立川志らくは、1992年に「“超”放送禁止落語界」と題した寄席で、差別用語を連発。後に、部落解放同盟から糾弾を受けている。
カワイらしいオジサンキャラとなっている出川哲朗は、90年代には『電波少年インターナショナル』(日本テレビ系)で、海外のゲイクラブに潜入する企画をたびたび行っていた。出川は『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』(同)では、ナインティナインの岡村隆史に同性愛行為を求めるドッキリを仕掛けたことも。こうした企画は、当時のテレビでは多く存在し、関係団体から批判を受けていた。出川本人だけの問題だとは言い切れないが、当時のエピソードを本人が未だに笑い話として披露する点は、不謹慎ではないかと批判を集めている。
さらに、ザ・ドリフターズは『8時だョ!全員集合』(TBS系)や『ドリフ大爆笑』(フジテレビ系)などでの内容が、低俗と批判を集めていた。その中で、とりわけ不謹慎と指摘を受けたのが葬式コントだ。人の死を笑いにするとは何事であるといったことだろう。ブラックなネタと笑いとの親和性の高さを証明するエピソードでもあろう。
とは言っても、何かと「多様性」を掲げる現在においては、時代に合わせて笑いは変化していくべきかもしれない。