彼が番組中、「取材してきた」と言いながら、主に電話で聞いた取材メモを読み上げる場面が見られる。つまり彼は実質、コメンテーターであると同時に、リポーターであり、さらには取材ディレクターという立場でもあるのだ。
そう、もともと彼はこの番組のディレクターであり、表に立つような側ではなかったという。玉川氏は1989年、制作志望でテレ朝に入社する。だが入った後、当時の編成局長に「ワイドショーだけはやりたくない」と宣言したことが逆にアダとなり、ワイドショーのAD(アシスタントディレクター)として配属されることとなる。
さらに1年目、玉川氏は現在にもつながるような反骨精神を見せる。この年の11月、俳優・松田優作さんが他界。各局がカメラを抱えて葬儀場に押しかける中、同じく取材を命じられるも、出向かなかったというのだ。このことが間もなく発覚すると、先輩から「特落ちだ(=自社だけ落とすこと)」と罵られたという。
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これに対し同氏は、まだADのポジションであったにも関わらず、「撮りたくないから撮りませんでした」ときっぱり答え、『火葬場の中まで撮ってこい』と言ってるからワイドショーは“ゲス”だって言われるんだ」と人のプライバシーに土足で踏み込む当時のワイドショーを批判。指示した先輩を相手に大げんかしたという。
やがて彼が辿り着いた取材対象が官僚だった。「なぜ高級官僚になると、東京・青山の公務員宿舎に格安の7万円で住めるのか」という素朴な疑問から、官僚を直接取材するように。結局、それは官僚の特権であることが分かったのだが、これがキッカケとなり、官僚社会のゆがんだ構造を暴くのがライフワークの1つになっていく。しかもこの特集が、芸能一色だったワイドショーの中で、異例の高視聴率を記録。政治に真っ向から取り組む今のテレ朝のワイドショーの原点になったとも言えるだろう。
このように、自分が取材したことを視聴者に伝えようとした時、自ら表に立って声を出した方が手っ取り早いと判断したのであろう。コメンテーター兼リポーター兼ディレクターのマルチプレーヤーという、異色の経歴を今も歩んでいる。