平安時代後期に朝廷に反逆を起こした平将門は後に平貞盛、藤原秀郷らとの合戦の最中、流れ矢を額に受けて亡くなったとされている。その後、討ち取られた平将門の首は京都に送られ、七条河原で晒されたが、何カ月経っても腐ることもなく目を見開いていたという。太平記によれば、首だけになってもなお「我が五体はどこにあるのか。体をつけて再び戦わん」と叫び続けたという。
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その後、とある歌人がこの様子を歌に詠んだところ、呵々大笑(かかたいしょう)して朽ち果てたとも、光を放って空高く飛んでいったとも伝えられている。飛んでいった首は関東に向かい、落ちた場所に供養のための首塚が建てられたとされている。そのため、実は将門の首塚とされる場所は複数存在するのだが、一番有名なのが東京の大手町にある将門塚なのである。
先日の記事でも紹介した通り、「不敬なことをしたり、みだりに傷をつけるとたたりがある」と言われているため、今回の改修工事でも何やら不吉なことが起きるのではないか、と噂になるほどであった。そんな折、11月25日午前11時23分頃、茨城県を震源とする地震が発生。震源地を調べた人たちからの「震源地の近くに平将門の胴塚がある」「平将門をまつる国王神社が近くにある」という書き込みがSNS上に流れ、「今回の地震は将門塚の工事のせいで起きたのか?」と話題になった。
そもそも将門の胴塚とされる場所はかなり広い地域に分散しており、大手町の将門塚ほど誰もが思い浮かべるような代表的な場所は存在しない。また、この地域ではたびたび直下型の地震が発生する場所でもあるため、たまたま平将門にまつわる地域で地震が起きたタイミングと工事のタイミングが合致した、と考える方が良いのだろう。むやみやたらに怖がるのでもなく、偉人に敬意を払いつつ楽しむのが一番なのかもしれない。
(山口敏太郎)