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堺というと、1992年に早稲田大学演劇研究会を母体にした劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加。劇団の看板俳優として「早稲田のプリンス」と呼ばれていた。04年放送のNHK大河ドラマ『新選組!』の出演がきっかけで知名度が上昇。08年公開の映画『クライマーズ・ハイ』、『アフタースクール』などの演技が高く評価され、主要な映画賞を受賞。以降は、映画や連ドラの主演クラス俳優として人気を博している。
私生活では、2012年公開の映画『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』での共演をきっかけに交際していた女優の菅野美穂と13年4月に結婚。15年8月に長男、18年12月に長女が誕生し2児の父となった。
今ではすっかりパパの顔が板についた堺。笑顔が印象的でファン層も幅広く、紳士的なイメージが強いだろう。一方で、独身時代は複数の有名女優との浮名を流した肉食的な“色男”だった。そんな堺が無名俳優時代の頃、『FRIDAY』(講談社)に撮られていたことがある。
2001年6月、当時人気女優だった富田靖子の交際相手であるとスクープされた。当時、堺は27歳で富田は32歳。堺は富田の自宅を訪れるところを激写され、この報道を受けた2人は交際を認めている。
だが、このときマスコミの間では無名の堺を世に知らせるために、富田が取った策略なのではとも噂された。ところが、残念なことに富田の交際相手は「5歳年下の若手俳優」「美形舞台俳優」と銘打たれ、堺の名前は売名にもならなかったという。それ以来、堺はマスコミが嫌いになったようだ。
「2人は1998年の舞台『Zenmai』での共演がきっかけで知り合い、やがて交際に発展したようです。交際中、距離を置いた期間もあったよう。ですが、ほどなくして復活した2人は同居に近い状態だったことから結婚もささやかれていました。ところが、06年春ごろに破局したと報じられ、5年の交際にピリオドを打ったといいます。理由は生活や仕事の『すれ違いによるもの』とされましたが、結婚を望んだ富田に対し、格差を気にした堺がちゅうちょしたのではとの話も」(芸能ライター)
堺と破局した富田は、2007年に10歳年下のダンスインストラクターとわずか1年の交際で結婚し、同年に長女を出産。仕事と家庭の両立を図っている。富田の夫のブログには愛娘の顔出し姿もアップされ、円満な家庭を築いているようだ。
ドラマでの功績が称えられた堺には今後も仕事のオファーが続くのではないだろうか。その昔、熱愛をスッパ抜かれながらも名前すら出してもらえなかった堺。だが、今となっては名俳優の座に就いた。
お互い、別々の人生を歩んだが幸せそうで何よりだ。