佐野は1984年に新日本プロレスでデビュー。同年のメキシコ遠征を経て帰国をすると、永遠のライバルとなる獣神サンダー・ライガーと抗争を繰り広げ、IWGPジュニアヘビー級王座を戴冠。ライガーとの抗争が続くかと思われた矢先、1990年にメガネスーパーが巨額の資金を投入した新団体SWSに移籍。1991年にはSWSジュニアヘビー級王座を奪取し、SWSジュニアのエースとして君臨している。
1992年にはUWFインターナショナルに参戦。フリーとして高田延彦と対戦。1993年からはUインター所属選手となり、1995年10月に東京ドームで行われた古巣・新日本との全面対抗戦では、Uインター代表として、ライガーとの再会マッチが実現。この大会で唯一の3カウント決着で佐野が勝利を収めた。1996年には佐野友飛に、1999年には佐野なおき、そして2001年には佐野巧真にリングネームを改名した。
プロレスリング・ノアには2001年から参戦し、その後、所属選手になっている。ノアではジュニアではなく、ヘビー級選手として、シングルやタッグで存在感を示していた。2012年に再びフリーに転向するも、ノアとの関係は良好で、2014年のデビュー30周年記念試合は、ノアの東京・有明コロシアム大会で、ライガーとタッグを結成している。
近年は2018年に京都で開業した焼肉店が多忙のため、試合を控えていたが、昨年3月にライガーが引退表明した際、佐野の名前を挙げたことから、新日本が早くから佐野に参戦のオファーをしたため、1月4日はライガーの対角線に、翌5日はライガーの横に立って試合を行い、6日のライガー引退セレモニー終了後、佐野も引退宣言。これを受けたノアの丸藤正道ら、かつて共に盛り上げた選手たちが「ノアで引退セレモニーをやりたい」という声が出たことから、今年3月に行われる予定だった神奈川・横浜文化体育館大会で引退セレモニーの開催が発表されていたが、コロナ禍により、今大会に延期となった。
試合は行われないのは残念だが、名選手だっただけに、引退セレモニーを行って送り出すノアの決断を評価したい。
(どら増田)